「そのこと」というのは、あなたが書こうとしていることについてだ。
あるいは、
書き終えて、
あなたが書き直そうといていることについてだ。
当たり前だが、
あなたは「これまでになかったこと」を書こうとしている。
だから創作というのは苦しい。
見本があって真似をすることではないからだ。
見本があって、組み合わせればなんとかなることではないからだ。
それは誰でも出来ることで、
誰でも出来るレベルのことは、創作レベルとは言わない。
組み合わせレベルである。
ほんとうにオリジナルだなあ、
と思えるのは、
最初は単なる組み合わせのアイデアであったとしても
(たいていはそうだ)、
あなた自身が、
深く考え、
広く考え、
もうこれ以上考えられないくらい、
誰よりも一番考えたときに、
生まれる。
誰も到達できないことをやる。
それがオリジナリティーだからである。
もしあなたよりIQが高い人がいて、
あなたの書きそうなことについて先に気づき、
先にまとめてしまったら?
それだとしても、
あなたが「一番そのことについて、
広く深く考え、調べ、
それを知らない人にも上手にまとめて伝えられる」
限りにおいては、
あなたの勝ちであると思う。
つまり、あなたはあなたの書こうとしていることに対して、
専門家になるべきだ。
刑事物や医療物やスポーツ物や将棋物を書きたいなら、
専門の知識が必要なことは予測できる。
しかしそれだけではない。
描こうとしている人間の気持ちや、
決断や、行動についても、
あなたは一番詳しく知り、深く考え、
かつ、それを単純化して端的に人々に示すことである。
詳しく知ったり、深く考えるまでは、
まあ努力すれば出来る。
問題は、
それを端的に示せるかだ。
ここが創作の出口であり、
観客にとっては入り口だ。
観客は端的に上手にまとめられた入り口から入り、
あなたの考えた、
深くて広くてふくよかな世界を楽しむのだ。
そのようになっているだろうか?
あなたは考え過ぎていて、
そのような視点を見失いがちだ。
Aについて、Bのことは考えていたが、
Cのことは片手落ちになっていないだろうか?
せっかくAという入り口から入ったのに、
Bのことばかりやっていて、
CもDも期待したのにねえぞ、
ということになっていないか?
あなたの出口は、歪なのかも知れない。
それは、あなたが考えた大量のことに、
まだ振り回されているのだ。
ここで客観視するためには、
もっと視点を引かなければならない。
必死で調べ、考えたことは、
普通の人が普通こうだろう、
と想像する範囲を、ちゃんと網羅しているか?
いや、もっと狭い範囲しか扱わないなら、
もっと入り口を狭くするのか?
それとも、入り口の広さは確保しておいて、
中のふくよかな世界を、
ちゃんと考え直せるか?
物語はプレゼンである。
あなたの考えたことを、
私たちに見せてください。
しかも極上に楽しませて下さい、
ということである。
あなたの考えたことがいかにすごくても、
それを上手にプレゼン出来なかったり、
たいして深くなかったり、
たいして広くなかったり、
広過ぎ深過ぎるのを整理しきれてなかったりして、
フィルタで濾してないものだったりすると、
それはできの悪い作品なのである。
あなたが考えもしなかった所に、
正解が転がっていることも、よくあることだし。
世界の広さと深さと新しさと、
手頃さと重みと、尺や大きさとが、
うまく噛み合ったとき、
それは名作になるのだと、僕は考えている。
名作とは釣り合いでもあると思う。


とりあえず行くところまで行けばよいと思います。
で、やっぱ最初の最初で間違えてることもあって、
そのときはまた掘ればよいのではないでしょうか。
進んだ分だけ道が出来てるはずで、
間違ってた道も再利用すればいいと思われます。
それでも間違ってたら、
また最初から最後まで掘るだけです。
創作というのは、自信を持ってそのまま一回だけいくことだけではなくて、
その勢いで何回も何回もいろんな所にいくことだと思いますよ。