2018年07月05日

あなたは誰か?

自己という宇宙は厄介だ。
「あなたは誰か?」に簡単に答えられる人はなかなかいない。

就職活動とかお見合いなんてのは、
全て「あなたは誰か?」に答え続ける、
わりとつらい旅だろう。

でも、他人の「あの人はどういう人?」には、
わりと(無責任に)答えられる。

それは、その人の「外に出ているもの」に材料があるからだ。
一方、自分の時だけは、
「外に出ているものではない、内なる本当の私」を
見定めようとするから大変なのである。


何がいいたいかというと、
一人称と三人称だ。

人はあなたを三人称で見ている。
あなたの一人称で見ていない。

簡単なことだ。
あなたも他人を、三人称で見ていて、
一人称で見ていない。


なのに。
作品作りにおいて、
そこを混同してしまう。

あなたは外に出ていない、
「内なる宇宙」を理解して欲しいのではないか?

それは無理な話だよ。

あなたが他人を、「外に出て来たもの」から総合して判断するようにしか、
他人はあなたを判断しないよ。


この、
「理解して欲しい」の齟齬こそが、
人間のややこしい部分ではないかと僕は考えているのだが、
まだうまく言葉には出来ない。



で。

あなたの書くキャラクターも同様だ。

他人は、つまりは観客は、
外に出たものでしか、
判断できない。

外に出たものとは、
発言、行動、表情や仕草、外見、服装だ。

そのうち脚本に書けるのは、
発言と行動のみだ。

あなたはこれだけで、
そのキャラクターを構成しなければならない。


教科書的には理解しているかもしれないが、
いざやってみると、
うまく書けてなくて、
書けてないところを突っ込まれると、
「本当はこの人は○○な性格で、
○○という裏設定があって…」と、
言い訳を始めたりすることがある。

じゃあそれを出しなさい。
出ていないものからは、判断できないからね。


それでもつまらない人間だってこともある。


外に出てるものからしか、
私たちは判断しないし、
判断できない。


割り切るのだ。
あなたの内なる宇宙は、
あなたの中にしかない。

あなたの作ったキャラクターは、
発言と行動からしか評価されない。

勿論、その中にあなたの内なる宇宙の一部を仕込むことは出来る。

しかし、あなたの作ってキャラクターは評価されても、
あなたの内なる宇宙が評価されるわけではない。


あなたは誰か?
に答えることは、本当に難しい。
しかし、そのキャラクターは誰か?には、
簡単に答えられる。
そうでなければ、三人称のストーリーとは言えない。
posted by おおおかとしひこ at 14:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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