ネーミング「だけ」をするのはとても楽しい。
すでにあなたはいくつかのネーミングをしたことがあるはずだ。
人物の名前を決めたら、
その人がどういう外見で、
どういうことを言いそうで、
どういう性格か、
なんとなく想像できるものだ。
雪彦はクールだろうし、
心愛は甘えん坊で愛らしいだろうし、
源次はシブいだろうし、
涼子は涼やかな目元で透き通った肌だろう。
ファンタジー世界の地図を作る遊びもある。
国の名前や川や海や山の名前を考えたり、
町の名前を考えたり、
特産品や気候を考えたりするのは楽しい。
そこに生きる生物を考えるのも楽しいし、
滅びた旧世界の文明を考えるのも楽しい。
もう伝説の剣や魔法の名前も考えてあるだろう。
SFなら星の名前を考えたり、
種族の名前や特徴を考えたり、
ワープ航法やすごい科学技術の名前を考えたり、
世界を滅ぼしかねない兵器の名を考えたりするのは、
とても楽しい。
リアル系ならば、
最寄駅はどこに住んでるのかとか、
どういうファッションが好きかとか、
その町の主要産業や祭りはどんなかとか、
会社や学校はどんな感じかとか、
あたりにどういう店があるかとか、
好きな食べ物や嫌いな食べ物、
部屋の中はどんな感じかとか、
休日にすることや趣味は何かとか、
それにまつわる面白エピソードとか、
そういうのを考えるのは、
とても楽しい。
これらは、心理療法でいう箱庭療法である。
心に問題やストレスを抱えているとき、
人は現実逃避をする。
全く別の現実に浸ることが、
とても楽しくなるのだ。
物語も一種の箱庭である。
現実とは全く違った異世界に浸ることで、
一端現実を忘れさせるのは、
物語の効用だ。
全くの異世界を想像して楽しむのは、
神話の時代からの人類の楽しみである、
と言っても過言ではないだろう。
僕は、宗教すら、この箱庭療法の一種ではないか、
とすら考えている。
だから、
そういういくつかの世界を持つことは、
ストーリーテラーになる第一歩である、
と言っても過言ではない。
そして、
リアリティ溢れる、
夢やワクワクが溢れる、
架空の世界をいくら作っても、
ストーリーにならないことだけは理解しよう。
なぜなら、
その世界はフィックスだからだ。
その世界は定常状態として設定されたはずだ。
だから変化しない。
世界の変化する、時間軸こそがストーリーだ。
その国の存亡の危機だとしたら、国のストーリーで、
誰か個人の存亡の危機だとしたら、個人のストーリーで、
何かの集団の存亡の危機だとしたら、集団のストーリーである。
ストーリーは事件から始まる。
直接存亡の危機から始まっても良いし、
その事件が進展していくうちに、
存亡の危機になってもよい。
なにせ危機がないと人は動かないので、
危機からストーリーは始まる。
最初に爆弾が破裂してもよいし、
たいした危機だと思ってなかったのに、
いつのまにか危機になってしまってもよい。
それから、あれやこれやあって、
再び同じ定常状態に戻るか、
悪い定常状態に戻るか、
より良い定常状態になるかを、
ストーリーという。
それぞれ、
行って来いまたはループ、
バッドエンド、
ハッピーエンドという。
で、神ががちゃがちゃやるのではストーリーにならない。
人が何かをすることで、
最終的にそこまで行くのがストーリーだ。
人は一人ではなく、
複数いるので、協力したり対立したりして、
最終形にいく。
そもそもその危機は人が起こしたかもしれないし、
天変地異かもしれない。
(大抵は誰か他人の悪意によってもたらされる。
そのあとの対立や協力が面白くなるからだ)
このように、
箱庭で、
存亡の危機を回避するために、
人々が協力したり対立したり何かをしたりして、
よりよい箱庭にすることが、
ハッピーエンドのストーリーである。
その為に、設定した人々が集まったり、
別れたりして、
何かをする。
それがストーリーの構造だ。
三幕構成が構造ではない。
それは時間軸に関するだけの構造で、
ストーリーは4次元の芸術である。
そして箱庭は3次元までしか存在しないということだ。
箱庭を作ってニヤニヤすることは、
高尚な趣味であると僕は思う。
ジオラマなんてその典型だよね。
庭づくりや家づくりなんてのも、
その一種で、
手芸や絵画や彫刻も、その一種だと考えると、
分かりやすいと思う。
しかしそれらはストーリーの構成要素ではあるが、
ストーリーそのものではない。
高々3次元世界であるからだ。
これがストーリーになるためには、
これらが動かなくてはならない。
理系なら、df/dt=0はストーリーではない、
と言えば一言で理解できるだろうか。
ストーリーとは、
箱庭学園どのような変化をし、
どうなって、
どうなって、
最終的にどうなったかであり、
それは全て人によるオペレーションの末に、
そうなることが条件だ。
男子は世界とか宇宙を操作したがり、
女子は人間関係や服や家を操作したがるが、
その性差はおいといて、
それらは全て変化しなければストーリーではない。
箱庭を作る人は沢山いる。
厨二ノートを作った人は沢山いる。
それ自体は創作者になるための第一歩で、
恥ずかしいことでもなんでもない。(いや恥ずかしいが)
しかしそれはあくまで3次元世界に過ぎず、
ストーリーテラーに必要な、
4次元要素は0だということに気づくべきだ。
ちなみに、
僕のオススメは、
ネーミングなしでプロットをつくり、
出来たところで、そのストーリーに相応しい、
あるいはちょっとずらしたネーミングをしていくことだ。
先に雪彦と決めてしまうと、
ストーリーの都合でクールでいられない時もあり、
ストーリーの方が制限を受けてしまうからだ。
ストーリーの創作に足枷になるということである。
定常状態が創作のエネルギーになるべきではない。
変化のエネルギーは定常状態からは出ない。
動機こそが変化の動機であり、
それはネーミングや設定からは生まれない。
それを分かった上で、
ネーミングセンスを鍛えるためにネーミングをすることは、
とても良いと思う。
優れた作品はネーミングが優れていることが多い。
ネーミングがストーリーを生み出しているように錯覚する。
しかし本当は、
先にストーリーがあり、
それをうまく増幅するように、
いいネーミングがガワに被されているだけの話である。
「写ルンです」というネーミングだけ作って写真機を発明出来ない。
ポータブルな写真機を作ってから、
「写ルンです」と命名することはできる。
2018年07月09日
この記事へのコメント
コメントを書く

