動機や行動を描くのが物語であるが、
それはいきなりやってくるのだろうか。
たいていはそうではない。
現実ではいきなり行動をする人はあまりいない。
思いたって、思い詰めて行動する人もいるけど、
それは少数派だ。
ほとんどの人は胸に何かを秘めた状態で生きていて、
何かの「きっかけ」が来るまで温存しているものだ。
さて。
ある動機や目的があり、
それを達しようとして、
おもむろに行動するとき、
それを先手行動と呼ぶことにする。
飯が食いたい、寝たい、セックスしたい、生き残りたい、
などの生理的欲求は、先手でも不思議ではない。
動物として当然である。
あるいは、感情にまかせた短期的な行動はすべてそうかもしれない。
怒り、恨み、突発的な感情などだ。
脈絡もなく先手で行動することは、
ないことはない。
積極的な人間ならそれをすることもあり、
積極的とは深く考えず、
とにかく行動に起こしてその波紋の中を渡りながら、
行動や目的を変化させていくことでもある。
アドリブの綱渡りのようなものだ。
これ自体に善悪はない。
そうする人もいるし、そうしない人もいるし、
そうじゃない人がそうするときもあるし、
いつもそうする人がそうしないときもある。
考えている間にチャンスが逃げることもあるから、
とりあえず手付けだけする人もいる。
あるいは牽制だけする人もいる。
主人公は先手を取るだろうか?
物語の中で、トップシーンに、
「よし、こういうことをしよう」
と思いたって行動をはじめ、
それが最終的にどうなったのか、
までを描くことはめったにない。
なぜなら、突然そんなこと言われても、
感情移入するまでに至らないからである。
たいてい、主人公は後手を取る。
主人公にはやりたいことや夢がある。
あるいは、つらい現実があり、それを上手に改変したい。
あるいは、弱点があり、それを克服したい。
特定のことをしたいのだが、
機会がない。
まずそこで共感を取る。たいてい映画開始10分以内にである。
まだそこで感情移入する必要はない。
あくまで説明であり、わかるわ、というレベルでよい。
次にきっかけが起こる。
それは日常に起こった、ちいさな事件だ。
それはたいてい動機や目的と一見関係ないことで、
主人公はそれに巻き込まれる形になる。
それで、行動せざるを得ないことになる。
後手行動だ。
(逃げる、という消極的行動をとってもよい。
たいてい逃げた先にも問題の続きがあり、
結局はそれにどうにかしないといけない事態なのだが)
で、それにかかわっているうちに、
自分の秘めた動機や目的が、
当初と違う形ではあるものの、
実現するのではないか、
と気付く瞬間がある。
本人が気づかなくてもよくて、観客が分ればよい。
本人は無意識なのに、その行動をするからには、
そういうことなんだろうな、
と理解できればよい。
そうして、
主人公は、
主体的に、先手をとりはじめる。
最終目的が見えたからだ。
映画という物語は、
たいていこのような、
最初は後手だったものが、
次第に先手を取り始めていく様を描く。
それは開始30分である。
おおむね30分経つと、
主人公は自分の行動に責任を持ち、
最終目標にむけて、舵を取る覚悟をする。
(たいていは何らかの宣言をする)
それを第一ターニングポイントということは、
もう皆さんご存知であろう。
以後は、主人公がどのように先手を取ったり、
先手を取られて後手を引いてしまい、
それを取り返すか、
ということを描く。
それはたいていコンフリクトという形で示される。
いきなり先手を取ることは、
リアリティがあまりない。
だから後手で、ものごとにリアクションしているうちに、
いつのまにか先手を取っている、
ということが、
主人公の条件ですらあるような気がしている。
ここで日本人の消極的な性格が顔をのぞかせると、
消極的で流されやすく、他人の意見で自信をなくしてしまい、
自我を引っ込めがちになってしまう。
しかしここで動機を改めて確認すれば、
そんなこといってられなくなり、
先手行動に出ざるを得ない気持ちがわいてくる。
それが感情移入の正体だ。
行動とは、リア充ウェーイとか、
陽気でアメリカンな野郎どもがオラオラオラ、
とかばかりを意味しているのではない。
たとえ引っ込み思案で消極的な人物だったとしても、
何割り増しかで行動するべき時があり、
行動しなければならない時があり、
他人が止めたとしてもやる時がある。
その人生で何回かしかない特別な瞬間の、
確変の入った、
一連の行動を追うことも映画であり、
そしてそのほうが多いと思う。
先手を取って行動するのは、
なかなか難しい。
積極的で行動的な人は、あまり脚本を書かないだろう。
後手ベースで考えるなら、
どういう先手が起こるのか、
誰かになにかをされるのか、
偶然が起きて何かすごいことになるのか、
色々なことがかみ合ってそういう状態に至るのか、
考えなければならない。
ちなみに映画の中で使える「偶然」は、
この初手だけだということを覚えておくとよい。
先手、後手という言葉で暗示しているように、
映画の中で偶然の進展や解決はない。
すべては因果や論理での進展だ。
ストーリーとは論理だ。
それを偶然で解決してはいけない(デウスエクスマキナ)。
感情移入が台無しになってしまうからである。
(逆に、台無しにして物語を破壊したいときは、
偶然ですごいことが起こる破綻を描くとよい)
だから映画の最初に、
たいてい偶然が起こる。
ちょっとした奇跡のような瞬間
(美女と隣り合わせになり偶然話題が合う「ナナ」とか、
誰かに間違えられて追われる羽目になる「北北西に進路を取れ」など)や、
宝くじに当たるような無茶ぶりまで。
主人公はここから後手で、
何かを行動し始めることになることがとても多い。
もちろんあなたが積極的先手で、
面白い物語が書けるなら挑戦してみてもよい。
あるいは、型やぶりなストーリーが書きたいなら、
先手を取るところから始めるのはよいアイデアだ。
それはどちらでもよくて、
感情移入ができて、最後にカタルシスがある、
面白い話ならそれでよい。
2018年07月12日
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