2018年08月16日

ストーリーとは、納得いくための理屈である

真実や新発見である必要はない。
ほんとうらしく信じられればそれで良い。

一種の詐欺だというのはそういうこと。
詐欺と違うのは、
悪意の有無だけだ。


ネットで見た、

「スマホが普及してこんなにカメラだらけになったくせに、
心霊写真がバシバシ映らないのはなぜか?
やっぱり心霊写真なんて嘘なんじゃないの?」

という問いに対して、

「いや、一定の割合で写っている。
昔は写真が貴重で紙焼きもしていたので、
じっくり見ていたから発見されやすかった。
今は枚数が多すぎるし、
見るのも画像で一瞬だから、
写っているのに気づかないだけ」

という答えに対して、唸った。
見事。

これが物語には必要なのである。


嘘か本当かはどうでもいい。
「それは本当かもしれない」
という理屈こそが、
物語の前提条件となる「一つの嘘」なのだ。


僕は陰謀論が大好きなのだが、
それは、
「これが有名にならない理由は、
隠蔽しなければならないからだ」
という理屈が最初からあるところで、
そこが物語として理屈が通ってるんだよね。

「職場の誰と誰が付き合っているが、オープンにしない」
というのも「バレたら困るから」という理屈があるからで、
だから面白いのだ。


本当っぽいけど本当かどうかわからない。
でもその理屈はありそう。
それが物語の出来不出来を決める。

フィクションのはずなのに本当だと錯覚するのは、
そこの出来不出来なんだよね。


で、あなたが書くフィクションというのは、
本当だと錯覚させなきゃいけないんだ。
そのシンプルで強い嘘を、
思いつくかどうかなんだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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