真実や新発見である必要はない。
ほんとうらしく信じられればそれで良い。
一種の詐欺だというのはそういうこと。
詐欺と違うのは、
悪意の有無だけだ。
ネットで見た、
「スマホが普及してこんなにカメラだらけになったくせに、
心霊写真がバシバシ映らないのはなぜか?
やっぱり心霊写真なんて嘘なんじゃないの?」
という問いに対して、
「いや、一定の割合で写っている。
昔は写真が貴重で紙焼きもしていたので、
じっくり見ていたから発見されやすかった。
今は枚数が多すぎるし、
見るのも画像で一瞬だから、
写っているのに気づかないだけ」
という答えに対して、唸った。
見事。
これが物語には必要なのである。
嘘か本当かはどうでもいい。
「それは本当かもしれない」
という理屈こそが、
物語の前提条件となる「一つの嘘」なのだ。
僕は陰謀論が大好きなのだが、
それは、
「これが有名にならない理由は、
隠蔽しなければならないからだ」
という理屈が最初からあるところで、
そこが物語として理屈が通ってるんだよね。
「職場の誰と誰が付き合っているが、オープンにしない」
というのも「バレたら困るから」という理屈があるからで、
だから面白いのだ。
本当っぽいけど本当かどうかわからない。
でもその理屈はありそう。
それが物語の出来不出来を決める。
フィクションのはずなのに本当だと錯覚するのは、
そこの出来不出来なんだよね。
で、あなたが書くフィクションというのは、
本当だと錯覚させなきゃいけないんだ。
そのシンプルで強い嘘を、
思いつくかどうかなんだ。
2018年08月16日
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