そう思うと、あなたの人生をそこでやり直している気になってしまう。
物語は、あなたの人生のシミュレータではない。
「こういうところにこういう人がいて、
こんなことが起こったらどうする?」
が物語だ。
まるで人生のシミュレータだなあ、
と思えるのは、その(あなたのものではない)人の人生が、
リアルに(本当に実在するかのように)描かれているからに過ぎない。
人生のシミュレータなのは結果であって、
目的ではない。
勿論、入口が「もし俺がこんな人生だったら」
と夢想することはよいことだ。
しかし、そこから完成に至るには、
まだまだ段階を踏んでいかないとだめなのだ。
人生のシミュレータなんて考えていると、
取材はしないし、
プロットを練れないし、
色々改造してみてどのバージョンがいいか客観的に突き放したりできないし、
俺の人生経験で説教してやろうと思うし、
他人の感ずるリアリティではなく、
俺の感ずるリアリティだけになってしまう。
物語の目的は人を引き込むことであり、
人に押し付けることではない。
御都合主義になっていると感じたら、
何のためにこれを書いているかを思い出すことだ。
俺の架空の人生のシミュレータを書いているのだとしたら、
それは入口の浅瀬の物語しか書けないだろう。
自分を消したところ。
その人物と世界が存在する、
あなたのいない場所で、
その物語は息をしている。
2018年12月01日
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