プロットを練っているときに、
目的や行動や設定などばかり考えてしまい、
たとえば突っ立ってただ喋るシーンばかりを思い浮かべてしまいがちになる。
それは面白くない。
絵になる場面を探すことも、
同時進行でやるべきだ。
最も簡単な方法は、
危険を作ることだ。
「誰かに追われる」場面にするだけで、
それは絵になる場面になるだろう。
あとはどこをどう逃げるか、
どういう追われ方をするかで、
絵作りが出来るからだ。
なぜ追われるのか、
捕まったらどうなるのか、
逃げ切ったらどうなるのかは、
プロットに属する部分だ。
絵の場面のための、理由づけのようなものだと、
この場合では考えられる。
先日色々考えているとき、
どうにも会話場面ばかりだなあ、と煮詰まっていたのだが、
「デモ隊に巻き込まれる」という場面を思いついたので、
なかなか面白い絵面になった。
こないだのフランスのデモを見てたからなんだろうが、
発表時点、その後受け取る時点を考えれば、
そんなのどうでもいいことだろう。
実際のところ、
「車がひっくり返され炎上しているところに、
カメラ目線で振り返っている写真」
がとても絵になっていて、
それが発想のもとになっている。
で、日本のデモなので、
車はひっくり返さないし、炎上もしないし、
黄色いジャケットも着ないので、
「アパートに帰ったらデモ隊がいて、
すごい入りづらくなる」という場面にした。
これなら元ネタとデモ隊しか被ってないし、
別の絵になるし、
別の「絵になる」場面になる。
身近なものからネタを拝借するときは、
このようにして、
意味をずらしていくと良いだろう。
ただアパートに帰宅して次のストーリーに進むよりも、
このようにして「絵になる」困難を用意することで、
ストーリーを新しい局面にすることができる。
家に帰って電話待ちだった、ということにすれば、
デモ隊のシュプレヒコールの真っ最中に電話がかかってくる、
という場面を書けるはず。
このようにして、
絵から発想を広げて行けるわけだ。
プロットを組んでいるときは、
慣れれば慣れるほど、
目的とか行動とかばかりで組んでしまい、
このような絵を忘れてしまう傾向にあると思う。
プロットを書いた紙を一覧で広げて見て、
絵がある場面に色を塗ってみよう。
全部を塗りつぶすことはできない。
設定やらテーマの意味やらは絵にならない部分が多い。
しかし、印象的な絵の場面がないのは、
映画として失格だ。
最低でも1/3や半分は、塗りつぶされているべきではないだろうか。
下手すると喫茶店で話しているだけになる。
ワンシチュエーションという企画ならばそれも良いが、
殆どの人が映画に期待するのは、
喫茶店で二人で延々話す場面ではない。
そのような絵になる場面は、プロット段階で組み込んでおかないと、
実際に絵にするときにとても難しくなる。
「デスノート」のコミックスに収録されている、
原作ネームは字だらけで絵を考慮していないが、
小畑の下書きはそれを絵になるように工夫されている。
両方をするのが、一人で書くふつうの脚本だ。
(原案と作画を分ける場合はこの限りではない)
2018年12月05日
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