2019年07月09日

一滴目の絞り汁

これがどれだけ純度が高いかで、
その後の質が決まると思う。


どういうことかというと、
創作の前には、
沢山の情報を入れたり調べ物をするはずで、
本編に必要ないところだとしても、
気になるなら周辺を全部調べたり、
妄想するはずなのだ。

実際の作品に書かれる部分が1だとしたら、
10や20や50くらいは、
当たり前に妄想が存在する。

氷山とその一角に例えられることもあるけれど、
僕は、絞り汁のように考えている。

煮込み料理でも酒粕からのものでも、
葡萄でもいいんだけど、
何かを集めて混ぜ込んで、
分厚いフィルターでギリギリに絞ったとき、
ようやくぽとりと落ちた最初の一滴こそが、
その背後にある膨大ななにかの、
エッセンスだと思うわけだ。

氷山のたとえはあくまで「見る側」からのたとえだと思う。
見えているその一角は、
全体から切り取った部分ではなく、
エッセンスのなかのエッセンスであるべきだ。
書く側からの視点で見れば、
絞ってないものは無加工品だから、
氷山のたとえはおかしいと思う。


ジューシーでちょっと絞ればぴょろっと汁が出るやつなんて、
誰でも使うネタだから面白くない。
すぐに腐って陳腐化するだろう。

それよりも、
誰も手をつけてない、
読み解いたりエッセンスを抽出することが難しいが、
面白いネタを見つけて、
それを丁寧に丁寧に煮込んでいき、
ようやく最初の一滴を絞り出すべきだ。

それが誰もやってないことならば、
その一滴の純度や色そのものが、
あなたのオリジナリティになるだろう。


誰でも出来る似たようなことには、
なんの価値もない。
あなただけの材料を大量に集め、
あなただけが絞り切れることが、
オリジナルな一滴を生む。

そしてそれはたった一滴で、
世界を変える何かに成長していく。


調べよ。
妄想せよ。
人と同じことを考えても詰まらない。
つまり絞り汁の中には、
あなたが一人でやってきた孤独が、
全部入っている。
その純度が、全てを決めると思う。
posted by おおおかとしひこ at 10:47| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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