これがどれだけ純度が高いかで、
その後の質が決まると思う。
どういうことかというと、
創作の前には、
沢山の情報を入れたり調べ物をするはずで、
本編に必要ないところだとしても、
気になるなら周辺を全部調べたり、
妄想するはずなのだ。
実際の作品に書かれる部分が1だとしたら、
10や20や50くらいは、
当たり前に妄想が存在する。
氷山とその一角に例えられることもあるけれど、
僕は、絞り汁のように考えている。
煮込み料理でも酒粕からのものでも、
葡萄でもいいんだけど、
何かを集めて混ぜ込んで、
分厚いフィルターでギリギリに絞ったとき、
ようやくぽとりと落ちた最初の一滴こそが、
その背後にある膨大ななにかの、
エッセンスだと思うわけだ。
氷山のたとえはあくまで「見る側」からのたとえだと思う。
見えているその一角は、
全体から切り取った部分ではなく、
エッセンスのなかのエッセンスであるべきだ。
書く側からの視点で見れば、
絞ってないものは無加工品だから、
氷山のたとえはおかしいと思う。
ジューシーでちょっと絞ればぴょろっと汁が出るやつなんて、
誰でも使うネタだから面白くない。
すぐに腐って陳腐化するだろう。
それよりも、
誰も手をつけてない、
読み解いたりエッセンスを抽出することが難しいが、
面白いネタを見つけて、
それを丁寧に丁寧に煮込んでいき、
ようやく最初の一滴を絞り出すべきだ。
それが誰もやってないことならば、
その一滴の純度や色そのものが、
あなたのオリジナリティになるだろう。
誰でも出来る似たようなことには、
なんの価値もない。
あなただけの材料を大量に集め、
あなただけが絞り切れることが、
オリジナルな一滴を生む。
そしてそれはたった一滴で、
世界を変える何かに成長していく。
調べよ。
妄想せよ。
人と同じことを考えても詰まらない。
つまり絞り汁の中には、
あなたが一人でやってきた孤独が、
全部入っている。
その純度が、全てを決めると思う。
2019年07月09日
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