SNSで広く知られることとなった自己承認欲求。
その表裏一体として、
「拒まれたくない」という深層心理があるだろう。
メアリースーの原因になっているのは、
この無意識である可能性がある。
自分が拒まれるのが嫌だから、
主人公が何もしたくない、
何かするとしたら全面的に受け入れられるのがいい、
みたいな「無意識」がやってしまうことであると。
作者は悪くない。無意識が悪い。
いや、無意識に気づき、コントロールしてない、
主観的にならず客観的にならない、作者が悪い。
主観的には作者は悪くないが、
客観的には作者が悪い。
ところで、
最近ラノベ界隈では催眠ものが流行りなのだそうだ。
催眠をかけることでとんでもないカップリングで話が進行すると。
物珍しいカップリングを見たい欲望と、
そんな無茶をしたらそのキャラに拒まれるだろうという恐れを、
一気に解消する、催眠とは素晴らしいアイデアだ。
それがものすごい御都合主義であっても。
そうまでして、人は拒まれたくない。
共感性羞恥という一種の精神病がある。
人が怒られたり恥をかいている場面を見ると、
(リアルであろうがフィクションのドラマであろうが)
自分がそうやられているように感じる病だ。
ある程度までは共感性の仕業だけど、
病的になるとその感情をコントロール出来ないのだそうだ。
それほどまでに、人は拒まれたくない。
という、人の深層心理を知ろう。
作者だけでなく、観客もだということだ。
じゃあ拒まれないドラマは?
単なる甘えだよな。
リアルでは人の申し出は大抵拒まれる。
そこから承服させるまでが、
実はドラマなんだ。
拒まれるのは初手のターニングポイントで、
バリヤーポイントなのだ。
あの手この手を駆使しては断られ
(ターニングポイントかつバリヤーポイント)、
そうこうしているうちに相手の心の中にも変化が訪れ
(ターニングポイント)、
更に新手で来たものに、ついに拒まなくなる、
という過程さえしっかり書けていれば、
拒否はドラマの一部である。
拒まれてからがドラマのはじまりだ。
拒否はドラマの多段階加速装置である。
拒まれたくない人は、ドラマをはじめていない。
2019年10月10日
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