2019年10月10日

拒まれたくないという病

SNSで広く知られることとなった自己承認欲求。
その表裏一体として、
「拒まれたくない」という深層心理があるだろう。


メアリースーの原因になっているのは、
この無意識である可能性がある。

自分が拒まれるのが嫌だから、
主人公が何もしたくない、
何かするとしたら全面的に受け入れられるのがいい、
みたいな「無意識」がやってしまうことであると。

作者は悪くない。無意識が悪い。
いや、無意識に気づき、コントロールしてない、
主観的にならず客観的にならない、作者が悪い。
主観的には作者は悪くないが、
客観的には作者が悪い。


ところで、
最近ラノベ界隈では催眠ものが流行りなのだそうだ。
催眠をかけることでとんでもないカップリングで話が進行すると。
物珍しいカップリングを見たい欲望と、
そんな無茶をしたらそのキャラに拒まれるだろうという恐れを、
一気に解消する、催眠とは素晴らしいアイデアだ。
それがものすごい御都合主義であっても。

そうまでして、人は拒まれたくない。

共感性羞恥という一種の精神病がある。
人が怒られたり恥をかいている場面を見ると、
(リアルであろうがフィクションのドラマであろうが)
自分がそうやられているように感じる病だ。
ある程度までは共感性の仕業だけど、
病的になるとその感情をコントロール出来ないのだそうだ。

それほどまでに、人は拒まれたくない。


という、人の深層心理を知ろう。
作者だけでなく、観客もだということだ。

じゃあ拒まれないドラマは?
単なる甘えだよな。

リアルでは人の申し出は大抵拒まれる。
そこから承服させるまでが、
実はドラマなんだ。


拒まれるのは初手のターニングポイントで、
バリヤーポイントなのだ。
あの手この手を駆使しては断られ
(ターニングポイントかつバリヤーポイント)、
そうこうしているうちに相手の心の中にも変化が訪れ
(ターニングポイント)、
更に新手で来たものに、ついに拒まなくなる、
という過程さえしっかり書けていれば、
拒否はドラマの一部である。

拒まれてからがドラマのはじまりだ。
拒否はドラマの多段階加速装置である。

拒まれたくない人は、ドラマをはじめていない。
posted by おおおかとしひこ at 10:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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