物語でなければ、
「誰でも分かる話」は、シンプルであるべきだ。
相対性理論が誰にでも分からないのは、
話がシンプルでなく、非常にややこしいからである。
昔から繰り返し伝えられてきた、
息の長い話は、大抵シンプルだ。
語り直されるたびに削ぎ落とされている可能性もあるが、
とにかくシンプルになっている。
構成はわかりやすく、
主人公にわかりやすく感情移入できて、
テーマへの落ち方も明快だ。
問題は、
私たちのつくるものは、
「新しいパターンのそれ」
でなければならないことだ。
シンプルにしようとすればするほど、
見たことのあるパターンに陥ってしまう。
組み合わせが単純化してくるからだ。
デザインのシンプルなキャラがどうしても何かに似たり、
単純なメロディがどこかは何かに似てしまうとか、
そういうことに近い。
だから、アレとはここが微妙に違うのだ、
などと差異を強調して、
アイデンティティ(それがそれである理由)を、
主張したりする。
でもみんなが本当に欲しいのは、
コロンブスの卵なんだよね。
それをつくるためには、
「あらゆるパターンを知り尽くしてから、
新しいものに挑む」ほうがいいのか、
「何も知らないからこそ新しいのが作れる。
古いのを見てしまうと影響される」
と考えるべきなのか。
若いうちは後者を考えがちだ。
知らない人こその天才ぶりがあることもある。
でもそれが出来るのは、
ビギナーズラックだけということは、知っておくべきだ。
「二作目のジンクス」が示す通り、
一発偶然でヒットしても、
二回は当たらない。
それではずっと名作良作佳作を作り続けていく人生は歩めない。
ビギナーズラックを求めるのは、
「あらゆるパターンの研究」のしんどさから逃げているからだ。
「その先ひとつも思い付かなかったらどうしよう」
と、投資を回収できないリスクを恐れるからだ。
しかしどこかで、覚悟は決めなければならない。
創作を始めて何本かの中でビギナーズラックを引いた人だけが、
そのあとあらゆるパターンを勉強するのかも知れない。
あるいは、
ある程度模写してきた人が、
そのうち自分のオリジナルな芸風に磨かれてきて、
それが開花するのかもしれない。
どちらのルートを通ってもよい。
しかし、
あるアイデアを思いついたとき、
シンプルで新しい構造にまで煮詰められるのは、
ひたすら修練を積んできた人だけだと、
僕は思う。
「シンプル化すること」そのものに慣れてないと、
あらゆることをそのようには出来ないからね。
それには、
何を削ぎ落とし、何を残して、
何をうまく繋げるといいか、
という高度なオペレーションと判断が必要で、
それは偶然ではなかなか出来ない。
しかも、
「普通の人はこれは分からないほどハイブロウだな」とか、
「阿呆すぎるな」
などの客観性を持ってないといけない。
客観力と判断力とオペレーションの実力と。
これらがプロレベルで出来るのには、
年単位の修行が必要で、
僕は10年かかると言っている。
かつてCM業界は3年目くらいでデビューさせて、
10年くらいで才能を使い潰していた。
その10年の間に実力を磨いた人だけが、
今も生き残っているような気がする。
今の若者はさらに条件が厳しく、
デビューは5年目だったりして、
しかも酷い案件しかなかったりして、
上も詰まっていて、
才能で抜け出したり、実力を磨く質の仕事がない。
ので、黙々と素振りを続けるしかない。
これは映画でもドラマでも似たような状況で、
伝承が途絶えかかっていることを僕は憂慮している。
シンプルナイズしよう。
それは新しいか?
それはわかるか?
そしてそれは深いか?
たったこの三行に収められることに、
ものすごい苦労がある。
誰もが挑むべき、最も高い山だと思うよ。
「この話はニッチだからわかる人がわかればいいんです」
で生きることも構わないが、
その中でも名作は、
誰でもわかるシンプルな構造を抽出しているものだ。
シンプル化する苦労から逃げるのに、
そういう言い訳をしないことだ。
そういうやつは、大抵小手先で誤魔化している。
それは伝わるんだぜ。
2019年10月31日
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