2019年11月09日

本歌取りしすぎじゃないか?(「ターミネーター:ニューフェイト」評)

構造がT2と似過ぎ。
BTTF2みてんのかと思ったわ。

以下ネタバレ。


冒頭の「二人が未来からやってきた感じ」、
その後の車でのチェイス。
まったくT2と同じではないか。
(ご丁寧に、チンピラの服を奪う所も同じ。
まあこれはセルフパロディの範囲だけど)

さらにご丁寧に、プレス機で潰すというT1のエンドまでやってのける。

チェイスに次ぐチェイスは、
「ああ、これはゾンビ映画の変形なのだな」
ということを思い出させる。
「不死の何かに追いかけられ、
ついに殺す」という大構造が全く同じ。

男が女に変わり、女が2人に増えた、
ガワ違いの同じ話。

途中基地に立ち寄り、武器を調達するのも同じ。
ここでたくさん話をして、
心の琴線に触れるのも同じ。

溶鉱炉がダム発電に変わり、
親指を立てる代わりに視線を合わせて、
釜状の所へ落ちて行くのも同じ。

さらにラストは、
公園を金網越しに見るところまで同じ。

(T1のラストと同じジープに最後は乗ってた?)

だったら、
「Storm is coming」とカーラジオででも流して、
「We know」で終わるくらいやっても良かったのでは?


運命は決まっていないという強い意志は大変良かった。
グレースとダニーの、
時を超えた百合(友情?)にも萌える。

だけどそれ以外が殆ど本歌取りだらけで、
うーん、十年一日、って感じだったなあ。

T2000から進化したのが、ダブルに増える程度じゃあ、
あの時の衝撃を超えられないよなあ。


ターミネーター、T2は、
その度に大きく映画を進化させた。
この映画は、
「あるもので工夫したあり合わせ料理」に見えた。

「所詮ゾンビ映画の構造に、
未来とタイムパラドックスを絡める」
から一歩も出てないので、
期待を上回ることはなかった。

これだったら、
アクションは微妙だったT3のラストシーン、
「Who is leader?」「I am」
の方が、
断然ターミネーターというサーガのエンドに相応しい。

僕の中では、
正統続編にはなれなかった。


ジョンコナーを殺したのは面白かったけど
(顔合成が凄かったね)、
「For John」にあまりグッと来ないのはなんでだろう。

シュワルツェネッガーとサラの間に、
なんらドラマがなかったからではないか。
T2では、
「今ならなぜ人間が涙を流すかわかる」となるようなドラマがあり、
「マシンすら変わりうる。未来は変わりうる」
というテーマに落としたというのに。

(たとえばだが、
「人間は過ちを過去に犯したと思ったら、
今をどうやって償うんだ?」
とシュワルツェネッガーに尋ねさせても良かったのではないだろうか?)



「未来のあなたを助けるために」
というのはとても新しい動機で、
ここは革命的なアイデアだと思ったが、
これがなんらのイコンになっていないのが、
映画として不合格だと思う。
演出が下手としか言いようがない。

たとえば露店で桃を売っていて、
最後の一個をダニーが買ってしまって、
一歩遅れて子供のグレースが買いそびれたところを、
ダニーが譲ってあげる、
などの、
たった5秒ほどの視線の交錯があれば、
話は閉じられるというものを。


ああ、そこでグレースがふと空を仰ぎ、
「Look. Storm is coming」と言えば良かったのか。




つまり、
この映画にはテーマが薄かった。
「未来は変えられる」という物語でもなかった。
(変えられるなら、
未来でグレースを救うエピソードはなくなる、
という逆のタイムパラドックスが起こる)

傑作、T1と2を超えられなかったのは、
まことに残念。
posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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