2019年11月09日

機械は創作できるか(「ターミネーター: ニューフェイト」評4)

マシンに対する人間の価値として、
創造性が挙げられることがある。
クリエイティブは人間にしかできないだろ?と。
ほんとうにそう?


たとえば音楽は、
すでに自動作曲は実用化されている。

どうでもいいビデオをごまかすためのBGMは、
とても需要があり、
どうでもいいビデオなので予算が低く、
人間の作曲家にお願いすることが出来ないので、
作曲サイトで音楽をジェネレートすることは、
最近増えてきたように思う。

「特に聞いてないけど穴埋めのための音楽」
ということでは、
たとえば駅構内で流れるノイズ消しの音楽や、
スタバやマックの店内BGMも、
もはやJasracを伴わない、
自動作曲ジェネレートBGMでいいんじゃね?

エグザイルやAKBが、オリジナルな、
人間の作ったクリエイティブな作品か?
似たような、それこそジェネレータが作ったような音楽じゃない?

人間の作ったすばらしい作品がヒットするわけじゃないんだよ。
パワープレイがヒットと関係あることが、
証明されてしまったではないか。

もう少ししたら、
プロ以外は、
ジェネレータが作ったBGMと、
人間が作ったBGMとを区別できなくなるかもしれない。
どっちが価値があるだろうか?

じゃあふつうのひとは、それが素晴らしい曲だと、
どうやって判断する?

味音痴とかとおなじだぜ?


画像認識に関しては、
すでに機械学習のほうが上回るときがある。
街中の監視カメラからAV女優を探せたり、
ベテラン医師しか診断できない肺癌をレントゲンから見つける。

学習は人間の特権ではもはやない。
「いい音楽」「いい絵」「いい小説」「いい映画」
「いいデザイン」「いい写真」
などを学習できる可能性はある。
学習できたら、
アウトプット、ジェネレートすることは可能だ。

ツイッター学習機が、
陰謀論やヘイトをジェネレートしまくり、
ストップした事件は有名だ。


じゃあ、いいクリエイティブとはなんだろう?

僕は、「新しいクリエイティブはこうだ」と、
クリエイティブがクリエイティブの定義を更新するものが、
クリエイティブだと思っている。

機械学習を無限にすればそれが出来るかは分からない。

しかし芸術作品とは、
「人間が人間として生きること」と、非常に関係していて、
新しい「人間とはこうだ」が示せることと、
クリエイティブは関係していると僕は考えている。

人間に備わった悲しみを新しい表現で示したり、
人間に備わった新しい喜びを示したり。
そういったことが、
機械学習で実現できるかはわからない。


歌を歌うターミネーターは存在するだろうか?
既存曲の格納以外に、
新しくジェネレートすることは可能だろうか?
その歌詞内容はいかなるものだろうか?

「人間には、このような悲しみや喜びがある」
と、ターミネーターは新しく発見できるだろうか?

人間は、ターミネーターに悲しみや喜びがあると思うだろうか?
彼らの歌を歌うことが出来るだろうか?
あの恐ろしげな赤い目の骸骨戦士の、新しい価値を歌えるか?


僕は、
ターミネーターは、そのようなエンドで終わってもいいんじゃないかと、
さっき思った。

互いに互いの悲しみや喜びを歌い、
和音を奏でる、
戦場の中の小さな場面が、
ターミネーターのラストシーンであるべきかもしれない。

人類とマシンの共通点。
それは、「自我を持ってしまったこと」
かもしれないね。
posted by おおおかとしひこ at 12:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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