2020年12月09日

芝居の基本は、歩く

脚本がどこへ行くかわからなくなったら、
主人公やその他の誰かを歩かせるといいぞ。


映画脚本とは、
すべてがアクションで記述される。
それは殴るとか爆発するだけでなく、
動くすべてを含む。
座る、寝る、話すもアクションだ。
カメラで撮れるものは、すべてアクションである。

その中でも基本は何かを考えると、
僕は「歩く」ではないかと思う。

「言う」もなくもないが、動きがなくなってしまうので、
僕は歩くほうがいいと思う。

なぜかというと、
歩くからには、「目的地」があるからだ。


街で歩いている人、全員に目的地がある。

そう考えたことがないのなら、
芝居のことを何もわかっていない。

渋谷のスクランブル交差点、
秋葉原の歩行者天国、
あるいは祭りの人々。
この、全員は歩いていて、
目的地がある。

「何か面白いことがないか、ぶらぶらと歩く」
も含めてだけど、
全員、「〇〇へ向かう」途中であるわけだ。


助監督がエキストラの芝居をつけるとき、
「〇〇から〇〇まで歩いてください」なんて指示をすることがある。
まあどうでもいいときはそれでもいいのだが、
本当は「〇〇へ〇〇しに行く」という目的を与えれば、
勝手に歩く芝居をするものなのだ。


渋谷のスクランブル交差点の写真でも入手しよう。
100人くらい写ってるかな。300くらいかな。
彼ら全員の目的地を想像してみることは、
芝居やストーリーを考える訓練のひとつである。


こうしたことに慣れているならば、
執筆で行き詰ったときに、
主人公を歩かせる、
ということが何を意味しているか分かるだろう。
つまりは、
歩かせたら、目的地を設定しないといけない、
ということに気づくことができるというわけだ。

「そうか、今目的地がないから面白くなくて、
行き詰っているのだ」
と気づければ、
色んな直しができるに違いない。


登場人物が歩みを止めるのは、
すべてが解決したラストシーンだけだぞ。

それまでは、全員が少しずつ歩いている。
それがストーリーだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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