ずっと考えていたことが、言葉になったので書いておく。
ものづくりを職人、
商売を商人と僕は考えていて、
資本主義経済は商人のものだと思っている。
で、僕は職人の側にいるわけだ。
商人、つまりプロデューサーや製作委員会、
ひいては映画館やチェーンの営業などについて、
僕はよくわかっていない。やったことがないし、
彼らの動機もよくわかっていない。
僕はずっとものづくりが好きで、それで飯を食えたらいいなと思って、
ものづくりの技能を磨いてきた人生だった。
いいものがすべてで、悪いものはよくない、ただそれだけだ。
しかし、商人たちと関わると、
かれらがものの価値を自ら判断せずに、
評判だけで判断したり、ガワだけで判断して、
まったく中身を見るセンスがないことが、
とても不思議だったのだ。
僕は商売人というものは、
築地の目利きみたいにものの価値を見極め、
それを適切に買うことだと思っていたのだが、
それすら最近は「買い付け」というアウトソーシングをしていることもある。
じゃあ商売人ってなんなんだろう、
その奥にいる経済ってなんなんだろう、
最近流行りの?金融ってなんなんだろう、
ってのがずっと分らなかった。
僕は理系だから、文系のことが分らないのかしら、
などとも思っていたが、
たぶん、そうじゃないことがわかってきた。
経済というのは、僕なりにいえば、
「約束」なのだ。
この作品はこれくらいの利益を見込めるから、
これだけ出資してください、
という意味が僕にはわからない。
だってつくってみないと出来なんて分らないじゃんね。
ものづくりをしたことのある人なら、
それが毎回同じ出来になるわけがないことや、
成功したり失敗したりすることや、
思ったより出来がいいところがあることなどを、
ずんずんと経験している。
それの総合力で、そのものの価値が決まることもだ。
だから約束なんて出来ないよね。
だいたいの方向性は出来るけど、
これだけの利益が見込めるものが出来る、
という保証なんて出来るわけがない。
だってまだ出来てないんだから。
にも拘わらず、
すべての商売は、約束で進む。
見込み、ということでもいいか。
銀行や投資は、約束で進む。
単純に、期限までにこれだけを返せ、
という約束だ。
契約は約束である。
出来を保証しない。
商売は契約で進む。
その契約には、ものづくりの本質的であるところの、
出来不出来ということが入っていない。
あるいは、船頭多くして船山に登る現象があることを、
予言できない。
実体経済と金融経済は違うという。
金融経済はすべて約束で成り立っている。
実体経済はものづくりだ。
約束とはバーチャルなものだ。
全部「つもり」「あるとして」の架空の話なんだよな。
風評で株価が上下するということが、
いまだに僕はよくわかっていない。
だってものの実質と風評はまったく別じゃないか。
ものづくりの評価が落ちて株価が下がるなら当たり前だと思うが、
たかが風評で株価が上下するなんて、
そのものの価値を誰も分かっていない証拠じゃないのか、
って思ってしまう。
だが、それは「約束」だからなのだ。
約束したことと違うから株価が下がる。
いい約束があるから株価が上がる。
実体は問わない。
どうもそういう仕組みらしい。
経営とかもそうだろうね。
三年計画でこれだけ増資して成長しますとか、
よくわからない。
どんだけ増資しようが、
研究は失敗することもあるし、
まったく投資しなくて研究が伸びることもたくさんある。
ものづくりは、約束できないのだ。
100万ドルあるから相対性理論をゼロから思いつけ、
という約束は出来ない。
1億やるから手塚を超えるものを、
と言われたって、出来る保証はどこにもない。
でも、タダで薙刀式をつくったり、
閃きでアイデアが出てきたりすることはある。
増資と本質的に関係ないところで、
ものづくりは完成したり発展したりする。
そうしたことが経営の理論に入っているとは、
とても思えない。
せいぜい、
「二番じゃだめなんですか」と聞いてみたり、
不採算部門を切り捨てることくらいしか、
経営には出来ないだろう。
それで約束的には発展するかもしれないが、
革命的なものがつくられたり、
文化が変わるほどの変革が起こるかは、
まったく約束できない。
映画は、製作委員会から出資を募るところから始まる。
彼らは脚本をたぶん読まない。
「どういう約束が出来ますか」しか興味がないんだと思う。
「これは面白いから儲かります」はまったく通用せず、
「人気の〇〇が出るので、他の出演映画比で、
これくらいの儲けが予測できます」
「〇万部の原作なので、これまでの統計から、
〇%が見ます」などしか見ない。
出資する人は、ものづくりのプロではない。
約束のプロでしかないわけだ。
だから、
間に挟まれるプロデューサーが、
いま一番人材難なのかもしれない。
だって「出来がいい脚本」を、
売る手段がないからだ。
おそらく、ものづくり全般で起きている問題だろう。
しばらくものづくりに投資して、
出来上がったものを刈り取る、という種まき方式ではなく、
約束できるものに乗っかる、
という相乗り方式でしか、
いまや出資は行われていない気がする。
金融社会であるという。
資本主義の完成であるという。
だから、イノベーションが生まれなくなったのだろう。
だから、面白い、見たこともない映画が、
生まれづらくなったのだろう。
イノベーションをするのは、
貧乏人と相場が決まっている。
たくさんの発明をして、
どれが生き残るか、金持ちは試しているわけだ。
それで、伸びてきた草を刈り取ることが、
いまや商売の基本になっているのではないか。
あるスタートアップ企業をつくり、
伸びてきたら大手に売る、
という「グーグルに買われる会社」を、
つくろうとしているような人たちはたくさんいそうだ。
じゃあ、貧乏になればいいのかな。
ハングリー精神が重要なのかしら。
それじゃあ、
金のかかった面白い映画って出来ないよな。
と、矛盾のループが回っている。
ものづくりは約束できるものではない。
だから、
10作って、1売れたら儲かる、
というのが映画の商売論だったはずだ。
糞ゲーがたくさんあって、名作もたくさんある状況が、
健康的な市場なのだ。
制作費が高騰したことが、
すべての間違いなのだろうか。
つまり、資本主義の限界は、
約束できないものづくりで儲けるくせに、
約束の世界で生きていることではないか。
そして、我々はAIではないので、
ものづくりから離れて生きていけないことである。
金融、バーチャル、契約だけで生きていけないのだ。
どうも富裕層はそうしているっぽいが、
我々はAIでない。飯も食うし、セックスもする。
色んなものを消費して、最後は死ぬ。
ものがない世界、断捨離とかいうけど、
それでは生きられないんだよな。
撮影の主流が、
実体のあるフィルムから、
データであるデジタルに変わったとき、
僕はとても違和感があった。
映画がものづくりから、約束ごとに変質してしまったような気がした。
ドーム球場が、
「雨だと観客への払い戻しがあるため、それを無くす」
ためだと知ったときも、同じことを思った。
雨が降ったり、色んな事故が発生するのが現実だ。
それを、安定したグラフを保つために、
約束事へと変換する装置がドーム球場なんだ、
と僕は理解したのかもしれない。
視聴率も、約束ごとに見える。
ものづくりとは関係がない証拠に、
5分早く始めて視聴率を上げるとか、
CM前後に煽りを入れるとか、
ものづくりと関係ない手法が横行した。
その結果、ものづくりそのものはどうでも良くなってしまったように思う。
人気者という風評に乗っかっているだけのような気がする。
僕は経済の理論を知らないし、
投資の手法にも詳しくない。
ものづくり一本でやってきて、
どうにも引っかかる違和感を、
まとめてみただけだ。
そうそう、前に出した例で、
「〇〇ってどれくらいで出来る?」とエンジニアに聞いたら、
「実装しました」と言われて驚いた、
という話をした。
ものづくりというのは、
出来るか出来ないかは、つくってみないと分らないから、
出来たから「出来ます」と答えるしかないのだ。
出来なかったら「出来ませんでした」と答えるのみだ。
約束はできない。
出来たか、出来なかったかなんだよな。
それを約束の世界で扱ってるから、
矛盾がいっぱいあるんだろう。
じゃあどうすればいい?
出来たものを買う方式?
それは作る側のリスクが高すぎる。
自社制作をやめた映画会社はいずれそうなるのかもしれない。
僕は、泥臭いが、
10本つくって1本当たりの方式でいいと思っている。
クソゲーB級を、たくさん抱えればいいじゃないかと思っている。
映画館チェーンに約束した儲けを保証せずに、
トータルで儲ければいいじゃないか、と思っている。
いま、サブスクがそういうことをやろうとしているのかもね。
定額だからなんでもできる、という状況が整っているのかもしれない。
作品ごとでリスクを抱えずに、全体で保証される感じ。
そうじゃないと、
文化なんて出来ないよね。
文化とは、新しい冒険のことだからね。
冒険が約束できるわけないよな。
今から書く文章が名文であると保証出来ない限り、
文章を書けない状況に、
みんな苦しんでいる。
経済や投資というものがわかればわかるほど、
ものづくりに投資なんて無理じゃないかと思えてくる。
実体のないものを回し続けたほうが楽勝だと思う。
それが金融なのだろうか。
2021年10月03日
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