2021年12月08日

【風魔】#風魔の小次郎40周年

というタグを見つけたので、ここに書いておきたい。


僕の風魔愛たるや、そのへんの人には負けない自負がある。

僕がリンかけにハマったのは影道一族編で、
床屋のコミックスだった。
僕は床屋が嫌いで、今でも嫌いだが、
リンかけとブラックジャックを読むために床屋に行ってた。

本誌の連載に追いついたのは阿修羅編だった。
石松の回だったと思う。

そこから黄金時代のリンかけをリアルタイムで体験して、
二作目のジンクスを跳ね飛ばす勢いの、
とんでもない漫画が始まったことをよく覚えている。
壬生の二色カラーと姫子の4色カラーは何百回読んだだろう。
小学校の頃、ずっと学ランのカケアミを模写していた。


でもリアタイは、
聖剣戦争の途中で脱落した。
死牙馬が思ったほど面白くなくて、
ネロ戦も微妙で、
飛鳥武蔵の台詞は好きだが「たった一度のこの日のために生まれた」
というリンかけ最終戦前の竜児の焼き直しに見えたんだよね。
皇帝に至ってはシルエットのほうがよかったやん、
とがっかりした記憶がある。

うおおおお風魔ああああとなってたピークはいつだろうと考えると、
夜叉八将軍から「この聖地で!」までかな。
そこまではずっと上り調子の、
奇跡の漫画だと思っている。
(匹敵するのは、北斗のレイ〜サウザーあたりか)


その後の反乱編は飛び飛びでしか読んでなくて、
最終回もジャンプで読んだけどなんかもやっとした。
「こんなことのためにあれを始めたのか?」
と、
リンかけの終え方と、どうしても比較してしまうのだ。

あの期待感に、車田正美は答えられなかったと、
僕はとても失望して、
その後北斗の拳に夢中になる。


もちろん、
その後見聞きした親父さんの事情は察するに余りあるが、
それと漫画がつまらないのは別の話だ。
仕事に私情を持ち込むのはそれこそ車田正美に失礼で、
風魔の後半が詰まらなかった事実のみが事実だ。

漫画家が、「憧れた先輩」だと思うから、
その失敗に失望する。
僕がプロになって、
「その事情もわからんでもない」とわかったふりをするのは、
同じような仕事だと理解したからだろう。
それは詰まらない大人になることだ。


だからこそ、
風魔の勢いのピークのまま、
きちんと完結させたらどうなるだろう?
という夢を捨て切れない。

小学生の時にわくわくしたあの勢いは、
どうやってリンかけみたいに正しく完結するのだろう?
と、別の世界線を妄想することがある。


神の采配か、プロとして夜叉編ドラマ化に関われた。
僕は自分の技量を全部叩き込んだ。
これをやるために生まれた、というほどの情熱を叩き込んだ。

当時次々と爆死する漫画原作映画やドラマを、
プロとして許せなかったからだ。

見本を見せてやるぜこのやろう(ただし金はないがな)、
という若さゆえの突っ張りであった。

それはあの時の、正解を引いたように思う。
あの全力は、僕の愛の形だ。



僕にとってまだ風魔は終わっていない。

反乱編は何の意味があったのか、自分の中で決着がついていない。
死牙馬は出落ちだったのか、ずっと疑問だ。
柳生暗殺帖で答えをずっと待ったまま、もうだいぶ待たされた。

「風魔よ風のように生きよ!」は、
あの物語をまとめ切れたテーマではない。
「希望の匂いのするアイツ」がやれた、全てではない。



連載開始40周年、おめでとうございます。

僕は40年も、風魔を愛してきたのだな。
同じ情熱を、これからも捧げたい。
posted by おおおかとしひこ at 21:23| Comment(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。