というタグを見つけたので、ここに書いておきたい。
僕の風魔愛たるや、そのへんの人には負けない自負がある。
僕がリンかけにハマったのは影道一族編で、
床屋のコミックスだった。
僕は床屋が嫌いで、今でも嫌いだが、
リンかけとブラックジャックを読むために床屋に行ってた。
本誌の連載に追いついたのは阿修羅編だった。
石松の回だったと思う。
そこから黄金時代のリンかけをリアルタイムで体験して、
二作目のジンクスを跳ね飛ばす勢いの、
とんでもない漫画が始まったことをよく覚えている。
壬生の二色カラーと姫子の4色カラーは何百回読んだだろう。
小学校の頃、ずっと学ランのカケアミを模写していた。
でもリアタイは、
聖剣戦争の途中で脱落した。
死牙馬が思ったほど面白くなくて、
ネロ戦も微妙で、
飛鳥武蔵の台詞は好きだが「たった一度のこの日のために生まれた」
というリンかけ最終戦前の竜児の焼き直しに見えたんだよね。
皇帝に至ってはシルエットのほうがよかったやん、
とがっかりした記憶がある。
うおおおお風魔ああああとなってたピークはいつだろうと考えると、
夜叉八将軍から「この聖地で!」までかな。
そこまではずっと上り調子の、
奇跡の漫画だと思っている。
(匹敵するのは、北斗のレイ〜サウザーあたりか)
その後の反乱編は飛び飛びでしか読んでなくて、
最終回もジャンプで読んだけどなんかもやっとした。
「こんなことのためにあれを始めたのか?」
と、
リンかけの終え方と、どうしても比較してしまうのだ。
あの期待感に、車田正美は答えられなかったと、
僕はとても失望して、
その後北斗の拳に夢中になる。
もちろん、
その後見聞きした親父さんの事情は察するに余りあるが、
それと漫画がつまらないのは別の話だ。
仕事に私情を持ち込むのはそれこそ車田正美に失礼で、
風魔の後半が詰まらなかった事実のみが事実だ。
漫画家が、「憧れた先輩」だと思うから、
その失敗に失望する。
僕がプロになって、
「その事情もわからんでもない」とわかったふりをするのは、
同じような仕事だと理解したからだろう。
それは詰まらない大人になることだ。
だからこそ、
風魔の勢いのピークのまま、
きちんと完結させたらどうなるだろう?
という夢を捨て切れない。
小学生の時にわくわくしたあの勢いは、
どうやってリンかけみたいに正しく完結するのだろう?
と、別の世界線を妄想することがある。
神の采配か、プロとして夜叉編ドラマ化に関われた。
僕は自分の技量を全部叩き込んだ。
これをやるために生まれた、というほどの情熱を叩き込んだ。
当時次々と爆死する漫画原作映画やドラマを、
プロとして許せなかったからだ。
見本を見せてやるぜこのやろう(ただし金はないがな)、
という若さゆえの突っ張りであった。
それはあの時の、正解を引いたように思う。
あの全力は、僕の愛の形だ。
僕にとってまだ風魔は終わっていない。
反乱編は何の意味があったのか、自分の中で決着がついていない。
死牙馬は出落ちだったのか、ずっと疑問だ。
柳生暗殺帖で答えをずっと待ったまま、もうだいぶ待たされた。
「風魔よ風のように生きよ!」は、
あの物語をまとめ切れたテーマではない。
「希望の匂いのするアイツ」がやれた、全てではない。
連載開始40周年、おめでとうございます。
僕は40年も、風魔を愛してきたのだな。
同じ情熱を、これからも捧げたい。
2021年12月08日
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