2022年01月07日

他人の目で見るためのいくつかのメソッド

をあげてみる。


他人の目で見ることが出来さえすれば、
客観性は確保できるのに。
それが難しいから困るんだよね。

そのいくつかの方法。


1. カメラで撮影する

すごい素敵なものを見つけて、
写真に撮ったのだが、それほどでもない、
という経験をしたことはよくあると思う。

それは写真が下手なのではない。
あなたが恋に落ちていて、
目が曇っている可能性がある。

すごい好きな子を、誰か別の人が撮ってる写真が、
えらくブスだった経験はないか。
そういうことだ。
毎朝見る鏡の中の自分の顔よりも、
写真に写ってる方がブサイクだったりする。
そういうことだ。

主観による視覚は、なにかしらの補正がある。
他人の子供の運動会ビデオはクソみたいにつまらないのに、
自分の子供のものは永遠に見れる。

その補正を切るには、
一度カメラのレンズを通すと良い。

色々盛れるテクニックや補正アプリは、
この主客の落差を埋めるための悪魔の囁きだ。
誰もが自分が思う理想と、
写真で撮った現実の差に、
みんな落胆しているということである。

カメラで撮るほかに、
紙焼きする方法がある。
コンビニプリントやら漫画喫茶のプリントやらで、
出力してみるといいぞ。

普段モニタでしか見ていないものを、
「別の次元に存在するもの」として確認し直すと良いのだ。
小説の世界では、
「モニタだと発見できないのに、
紙焼きすると発見できる誤字」があるという。
モニタは所詮鏡の中の自分なのかもね。

こうしたブログにアップする手もある。
アイデアをパクられると怖いから、
鍵をつけるとよい。
だとしても「万人がこれを読むとしたら」を、
頭の中でシミュレートしやすくなる。


2. 声に出して読む

これも使える手。
ただ、自己満足に読んでしまいがちなので、
それを動画や音声に撮ってみると、また変わる。

もし協力者がいれば、その人に読んでもらうとよい。
おそらく詰まったり、首を傾げるところがある。
そこは弱点だろう。


3. 寝る

死ぬほど寝ると、意識が変わるものだ。
夜中に書いたラブレターは、昼間に見るとあまりにも恥ずかしいもの。
ビジネスタイムのランチ時間に読んでみると、
あまりの恥ずかしさに悶絶することだろう。

ただ、それを黙らせるほど面白い可能性もある。
ほんとうにそうかは、
一週間離れる、一ヶ月離れる、
できれば三ヶ月離れるとよい。
自分の意識が別のところに向き始めているはずで、
それを捻じ曲げて吸引するほど面白いかは、
その時にわかる。


4. 生意気な後輩が書いてきた設定にする

以前紹介した、表紙にその後輩の名前を書き、
自分が書いたんじゃないんですよ、
にしてしまうメソッド。

「うーん、やりたいことは分かるが、
だったらこうすれば?」とか、
「これとこれはいらないし、
あれとこれが足りない」とか、
「これあれのパクリじゃん。変えなよ」とか、
「古臭いなあ。あれ見た?」とか、
バッサバッサ行けるものである。


5. 知らない土地で読む

行ったことのない街の、
知らない喫茶店や公園で読んでみよう。
外国でもいいし、いつもの電車だとしても、
知らない駅で降りるのだ。

そこには知らない人がいて、
知らない人たちが暮らしている。
その人たちが読むとして、
という風に想像する。


他人の目で見るということは、
ふたつができてるかだ。

ひとつは、正しく見ること。
もうひとつは、正しく批評すること。

自分の部屋をカメラで撮ったことがあるだろうか。
意外な姿になるよ。
(大体自分の認識より散らかっている)
そんな感じだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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