2022年02月02日

連載は、キャラクターのサブスク

って考えるといいかもしれない。


連載は、「次どうなるか」で興味を引いているものの、
実際、全体のストーリーがどうなるかがメインではないのではないか?

あのキャラクターに会うため、
あのキャラクターと一緒に時間を過ごすために、
見ているのではないか?
これはドラマよりもバラエティに近い。
(いや、ドラマすら、人気俳優に会うためのサブスクに成り下がっているが)

バラエティ、つまりキャバクラと同じであると。
会うのに課金する感じだ。

そんなこと言えば、
誰かと飲みに行くのも課金サブスクかも知れないし、
彼女と付き合うのも課金サブスクかも知れないし、
学校に行って友達に会うのも課金サブスクかも知れないね。
家を建てて家族と暮らして税金を払うことすらサブスクだね。

連載はつまり、維持費みたいなものだ。
課金することで、人気キャラに会う。
課金することで、この先がどうなるか、このストーリーのテーマは何かを、
知りたくなるわけではない。
(ある程度あるけど)

一方、連載形式でない映画は、
買い切りシステムである。

完結済みの単行本を買うことと同じだ。
それは所有欲かもしれない。
でも本なら所有欲を満たすが、
映画は所有できないね。

ある時間スクリーンを書いとるサブスクだと考えると、
ややむなしくなるね。
買うほうとしては、
本を買うことに等しいと僕は思う。
つまり、キャラクターに会うために課金するか、
それが人生になんらかの新しい知見をもたらしてくれることを期待して、
金と等価交換して所有するか、
という違いだ。


映画のマーケティングは、
いつからか間違ったと思う。

人気俳優を持ってきて客寄せパンダにしたはいいけど、
それがないと予算が下りないどころか、
人気俳優たちの座組セットをつくらないとつくれない、
というサブスクビジネスに成り下がったと思う。
それはまるでキャバクラの経営のようだ。

奇しくも、両方ともキャストという。


極論、キャバクラで話すことはなんでもいい。
次回もサブスクにつながればいいからだ。
しかし買い切りの本や映画は関係ない。
次回の同じ作者へのサブスクになるかどうかは、
今回の買い切りの内容に、
満足したかどうかである。

それが、
「サブスクに課金した」ではないものこそ、
映画に求めるものであるはずだ。

それは、人生への知見を増やすとか、
新しい何かを見るとか、
「サブスクキャバクラにないもの」
であるべきではないかな。


新しい映像技術は、今映画よりもゲームでさかんだね。
3DCGはアンリアルエンジンで完全にゲーム先行になり、
VR技術はメタバースに取り込まれる。
映画は今、新しい映像技術の実験場ではなくなっただろう。
実験場というのは、投資を得られるか、ということだ。

じゃあ、
映画でしかできないことってなんだろう。
「ある冒険を経て、学んだこと」という、
テーマ性だと思うよ。
「ああ、いい映画を見た」というのは、
それが妥当で、迫真的で、現代に切り込む同時代性があったということだと思う。


連載はサブスクだ。
映画はサブスクではない。
ネトフリは映画とサブスクの間をつくろうとしている。

映画がやるべきことは、
サブスクにはできないことだと思うんだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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