そりゃそうだ。
それとリアリティとの整合をどうつけるか、
だろうね。
片付けた部屋と、
リアルなごちゃっとした部屋を考えよう。
どちらが美しく、気持ちがよく、
他人に見せるべき価値があり、
自分も何回か見て、
未来に残すべきものだろう?
まあ前者だろう。
美しい女優のスクリーンの中の顔と、
寝起きのノーメイクの顔では?
まあ前者だろう。
後者が好きな人もいるが、マニアだろう。
きれいにする、とは、整理することである。
ノイズを除き、
美しいとされるバランスに整えることだ。
あるいは、
「このような整理の仕方があるのでは?」
と、新しいバランスを提案することもある。
いずれにせよ、
整理を求めて、カオスを求めるわけではない。
リアルはカオスだ。
ノイズだらけで、
いろいろなことが同時進行し、
始まったことが投げっぱなしになることもある。
勧善懲悪や、信賞必罰や、因果応報が、うまく機能しないことあり、
人の知性が踏み躙られることもある。
それを、
「どのように整理したか」が、
物語である。
あまりに整理されたものばかりを見ていると、
「現実はもっとぐちゃぐちゃだろ」と、
汚したくなる気持ちはよくわかる。
女性誌の表紙なんてツルツルのCGだよね。
だけど、
リアルだからいい、
ぐちゃぐちゃだからいい、
というわけではない。
リアルな中に、ぐちゃぐちゃな中に、
ある独特の美があるからいいんだよな。
その美はなにかというと、
やはり整理された何かだと思う。
絵で言えば、色だったり光だったり影だったり形だったり。
脚本で言えば、
「人生はこのようなものである」
「世界はこのようなものである」
「人間はこのようなものである」
「社会はこのようなものである」
だと僕は思う。
2022年05月03日
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