テクニックとして覚えるべきこと。
語りたいのはわかる。
その情熱こそが創作の動機だし、
出し切りたいのはとてもわかる。
しかしあえて、全部出さずに、
詳細をぼかしたり、
一部を欠けさせることが、
皆まで語るよりも良いことがある。
たとえば、
橋本環奈の「千年に一度の美少女」の写真一枚だけで想像した人と、
実際太ってきたり声がガラガラだったり、
酒好きらしいと知った時の幻滅感の差を考えると良い。
それでも俺は橋本環奈の全てが好きだ、
という人は多いかもしれないが、
あの写真一枚で想像してる方が、
もっと理想的な女を想像してたはずだ。
ボロを出さないということとは少し違う。
わざと足りないことで、
詳細を(いい方に)想像させろ、
ということだ。
仮に俺が最近結婚したとしよう。
「これが嫁です!」と写真を出すよりも、
「うちの嫁はいい女でね。顔は出せないが」
と、顔を出さない方が、
より想像は膨らむものだ。
そして嫁の悪口を出さずに、
いいところだけを出していくと、
多分こんな感じの人だろう、
と想像だけでいい女像が出来上がると思う。
そういう風に、あなたの作品をできないか?
という話をしている。
全部でなく、ある一部を隠すことで、
丸出しよりも良くなるところがあるか?
を考えるのだ。
たとえば手で隠してみよう。
手で隠された所は、
どうなってるか知ってるから、
あなたは「知らない人の想像」を想像することは、
とても難しいかも知れない。
しかしその想像を想像できないと、
このテクニックは使えない。
知らない人がブラインドコーナーに来た時に、
どうするか、ということを想像するのだ。
ギリギリの水着を着てうまく手で隠すと、
水着を着てないように見えて、
「おおっ」と思うよね。
そんな風に出来ないか?を考えるのだ。
黒くて汚い乳首を隠すとは限らない。
とても美しい乳首かも知れない。
でも、そのどっちもあるぞと想像を膨らませられてるか、
ということなのだ。
とにかく明るい安村の、
「安心してください。履いてますよ」は、
「履いてるのか? 履いてないのか?」
とハラハラさせる芸である。
一見履いてないように見せることで、
「履いてないかも知れない」を、
想像させる芸なのだ。
いや、履いてるんだけど、
履いてないように見えるのだ。
これを使いこなせるか?
という話をしている。
全部を出さずに、
隠すことで全部を出しているように見えて、
しかも全部を出した時よりも、
より面白くなっているか?
を、
テクニックとして使おうぜ、
ということだ。
「僕のどこが好きだったんですか?」
「よく笑う所と、ガッツのある所」
というよりも、
「僕のどこが好きだったんですか?」
「ふふふ。どこだと思う?」
と行く方が、
想像が頭の中でグルグル回るということだ。
「僕のどこが好きだったんですか?」
「自分でもよくわかってないの。
でも激しく感情が昂るの」
なんていくとさらに想像力が高まる。
こういう風にして、
使い分けようぜ、
ということだ。
もっとも、謎解きをしていって、
最後に犯人は不明とか動機は不明とかは、
とても後味が悪い
(「何故父を殺したんだ?」
「自分でもよくわかりません」だったら嫌だよな)
ので、
効果的に使おうぜということだ。
基準は、
「それを全部知ったら、
それ以上知りたい興味をなくすなあ」
を見極められるか、かな。
あるいは、
「それを知ったとしても、あまり得しない」
もある。
そういう部分は、手ブラの中に入れてしまえ。
その瞬間に、
履いてるのか履いてないのかの、
ドキドキが始まるのだ。
安村だから笑いに昇華できるが、
もしあのネタをめっちゃ可愛い子がやったとして、
履いてなかったとしたら?
を想像するだけでいいよね。
そういうことだ。
(ていうか、ヌード劇場で普通にパロディやってるかもね)
そういう意図的なことをやろうぜ。
2023年06月01日
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