2023年06月01日

皆まで語らない

テクニックとして覚えるべきこと。


語りたいのはわかる。
その情熱こそが創作の動機だし、
出し切りたいのはとてもわかる。

しかしあえて、全部出さずに、
詳細をぼかしたり、
一部を欠けさせることが、
皆まで語るよりも良いことがある。

たとえば、
橋本環奈の「千年に一度の美少女」の写真一枚だけで想像した人と、
実際太ってきたり声がガラガラだったり、
酒好きらしいと知った時の幻滅感の差を考えると良い。
それでも俺は橋本環奈の全てが好きだ、
という人は多いかもしれないが、
あの写真一枚で想像してる方が、
もっと理想的な女を想像してたはずだ。

ボロを出さないということとは少し違う。
わざと足りないことで、
詳細を(いい方に)想像させろ、
ということだ。

仮に俺が最近結婚したとしよう。
「これが嫁です!」と写真を出すよりも、
「うちの嫁はいい女でね。顔は出せないが」
と、顔を出さない方が、
より想像は膨らむものだ。
そして嫁の悪口を出さずに、
いいところだけを出していくと、
多分こんな感じの人だろう、
と想像だけでいい女像が出来上がると思う。

そういう風に、あなたの作品をできないか?
という話をしている。

全部でなく、ある一部を隠すことで、
丸出しよりも良くなるところがあるか?
を考えるのだ。

たとえば手で隠してみよう。
手で隠された所は、
どうなってるか知ってるから、
あなたは「知らない人の想像」を想像することは、
とても難しいかも知れない。
しかしその想像を想像できないと、
このテクニックは使えない。

知らない人がブラインドコーナーに来た時に、
どうするか、ということを想像するのだ。

ギリギリの水着を着てうまく手で隠すと、
水着を着てないように見えて、
「おおっ」と思うよね。
そんな風に出来ないか?を考えるのだ。

黒くて汚い乳首を隠すとは限らない。
とても美しい乳首かも知れない。
でも、そのどっちもあるぞと想像を膨らませられてるか、
ということなのだ。

とにかく明るい安村の、
「安心してください。履いてますよ」は、
「履いてるのか? 履いてないのか?」
とハラハラさせる芸である。
一見履いてないように見せることで、
「履いてないかも知れない」を、
想像させる芸なのだ。
いや、履いてるんだけど、
履いてないように見えるのだ。

これを使いこなせるか?
という話をしている。

全部を出さずに、
隠すことで全部を出しているように見えて、
しかも全部を出した時よりも、
より面白くなっているか?
を、
テクニックとして使おうぜ、
ということだ。


「僕のどこが好きだったんですか?」
「よく笑う所と、ガッツのある所」

というよりも、

「僕のどこが好きだったんですか?」
「ふふふ。どこだと思う?」

と行く方が、
想像が頭の中でグルグル回るということだ。

「僕のどこが好きだったんですか?」
「自分でもよくわかってないの。
でも激しく感情が昂るの」

なんていくとさらに想像力が高まる。

こういう風にして、
使い分けようぜ、
ということだ。


もっとも、謎解きをしていって、
最後に犯人は不明とか動機は不明とかは、
とても後味が悪い
(「何故父を殺したんだ?」
「自分でもよくわかりません」だったら嫌だよな)
ので、
効果的に使おうぜということだ。


基準は、
「それを全部知ったら、
それ以上知りたい興味をなくすなあ」
を見極められるか、かな。
あるいは、
「それを知ったとしても、あまり得しない」
もある。

そういう部分は、手ブラの中に入れてしまえ。

その瞬間に、
履いてるのか履いてないのかの、
ドキドキが始まるのだ。


安村だから笑いに昇華できるが、
もしあのネタをめっちゃ可愛い子がやったとして、
履いてなかったとしたら?
を想像するだけでいいよね。
そういうことだ。

(ていうか、ヌード劇場で普通にパロディやってるかもね)

そういう意図的なことをやろうぜ。
posted by おおおかとしひこ at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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