速くなるのは結果にすぎない。
そして、元々たまたまqwertyで速い人もいる。
だから「配列を変えたがqwertyと同じくらいにしかならなかった」
という人は、qwerty適性があり、
その配列適正があまりなかった可能性がある。
だから、
デフォルトであるqwertyが合わない人、
問題を感じる人、不快な人が、
配列を変えることを検討するべきでは、
といつも思う。
alternative layoutなどのような言い方がある。
オルタネーティブは日本語に訳しにくい概念で、
「代替の」などと訳されることが多い。
ある支配的なものがあるときに、
その代わりになり得る、
別の考え方、のような概念だ。
代替の、だと代車みたいな考え方で、
バックアップに近くなってしまう。
そうじゃなくて「別の支配原理」みたいな意味だ。
つまり「宗旨替え」のほうが近い。
キリスト教に対してのオルタネート宗教は、
ゾロアスターとかイスラムとか仏教だ。
ちなみにジェネリックとは異なる。
継承や劣化コピーの印象の強いジェネリック
(キリスト教ジェネリックは、
たとえばモルモン教とかか。
そもそもプロテスタントもだが)とは異なり、
「それとは別世界のまったく別の原理」
のニュアンスが強い。
「第三の」という考え方が日本語では似ている。
何かの二項対立があるときに、
それとは全く別原理の何か、
新しい何か、のように使われる。
ヒトラーの第三帝国も、
原義は神聖ローマ帝国、ビスマルク帝国につづく、
三番目の真の帝国という意味らしいが、
それよりもイギリスフランス、ソ連の軸ではない、
全く別の新世界を目指したもの、
というニュアンスを僕は感じる。
第三勢力という言い方もある。
kouyさんが新下駄を開発していたとき、
「ローマ字でもなく、かなでもなく」
を名乗っていた(今もか)けど、
この第三の、オルタネートの、の意味が強いと思う。
(僕は最初に見た時、
発音記号で入力するとか、神代文字で入力するとかを、
想像しちゃったけど)
さて、配列だ。
第一の配列、qwertyローマ字は、
全然いい配列とは思えない。
日本語を深く知れば知るほど、
日本語を日本語として書くための道具とは思えず、
偶然の都合だけで間に合わせに作られたものに見える。
つまり、練られた道具に見えず、
半端者に見える。
それがたまたま持っていた特徴、
一番使うAが左から見て探しやすいとか、
沢山のキーを覚えなくて良いから心理的に楽とか、
タイパーが使うのにたまたま良かった
(使用率が上から81%のキーが異なる指のため、じゃらっと打てる)
などの、
複合的な要因によって、
「ぱっと見悪い点に気づかない」ようになっていた。
だけど、
標準運指でのブラインドタッチが歪であるとか、
打鍵数が多く偏った分布で指を壊しやすいとか、
動きが大きく疲れやすいとか、
日本語の言い回しに適した指の動かし方になってない
(例: 「られる」の日本語の軽さに対して、
左手の折り返し打鍵のもつれが重たい)とかは、
やりこむまで分からない。
つまりqwertyは、欠点を隠蔽されている。
本格的にタイピングを勉強しようとすればするほど、
この欠点に気づくことになり、
「他にないのか」と思うことになる。
第二の配列JISカナは、
輪をかけて欠点だらけの配列で、
そもそもブラインドタッチ前提で設計されてなくて、
サイトメソッドでの拾い打ち前提だ。
つまり、第一の概念に対して、
対立概念にすらなっていない。
第三のものが欲しくなる時は、
ここまで来た時だ。
他にないのか?という、
第一第二は否定的なときのみ、
第三の選択肢は機能する。
「親指シフトにしてみたが、
qwertyローマ字と同じくらいにしかならなかったので、
やめた」
みたいな意見を散見する。
それって、速度だけを求めたからだよね。
楽に長時間打てるとか、
日本語のリズムで文章が書きやすいとかの、
親指シフトの速度以外のスペックを無視しているよね。
宗旨替えの際に宗旨を理解していないと思うわけ。
速さだけならqwertyローマ字をmiriさんみたいに打てば最速だ。
そこすら調べてなくて、
親指シフトが速いなんてデマを信じるもんじゃない。
あそこまでしないといけないの?
無理やろ、と思う人が、
「他にないのか?」と、
オルタネーティブを探すことになる。
そして速さ教なのは、
いろは坂、月配列、新下駄くらいで、
他の配列は速さ教ではなく、
もっと別の宗旨を標榜している。
僕がKIH2023でタイパーの日常文を撮影したかったのは、
「これは無理やろ」と普通の人を諦めさせることにあった。
でも見た目でスゲーとか、
俺とあんまり変わらんなどのマウントとか、
勝ち負けしか見てないコメントが結構多くてびっくりした。
そもそもqwertyに疑問を持ってない人が、
ほとんどなんだなあというのが僕の感想だ。
いつの世にも、
体勢側にいることだけで安心する大衆は多い。
しかしそれを改良し、良くしていくのは、
満足している彼らではなく、
それじゃダメだと気づいた人たちだ。
世の中にはオルタネート配列がある。
「オプション」のほうが、
日本語として浸透してるかな。
この「第三の」とか「代替の」とかを、
もっとうまく日本語で表せたとき、
新配列の存在はもっと際立つと思う。
(個人的には「第三の」は分かりやすいのだが、
第三のが100個単位であるのでね…)
速さだけで勝負してないし、
そもそも競技的速さを求めてないし、
といっても、
負け惜しみにしか聞こえないのが問題だ。
腱鞘炎の起こりにくい配列とか、
全然違う価値を探すべきだろう。
ちなみに「られる」は薙刀式では./Iで、
右手アルペジオ3連だ。(折り返すけど)
薙刀式は開発当初から、
「物語を書くための配列」と称している。
日本語の構造に沿って、
日本語を書きやすくした配列だ。
「日本語の構造」と言われてもピンと来ないから、
もっと伝わる言葉を発明できたら、
浸透の仕方は変わると思っている。
(しかし思いつかない)
オルタネーティブ配列が広まるには、
もっと腱鞘炎で手を壊す人が増えて欲しい。
あまり嬉しい未来ではないが、
事故が増えなければ、
車は危険という認識が広まらないのと同じだと、
僕は考えている。
qwertyは辛い。その悲鳴で日本を満たすべきだ。
問題がないと対処しないのが上だからな。
僕は僕の言葉を守るために、
qwertyは使わない。
それくらい言葉に丁寧な人でありたい。
2023年05月23日
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