2023年06月17日

フィクションの物語に囲まれて幸せだった時代

はもう終わったのかな?


先日後輩と久しぶりに飲んだのだが、
「子供の頃、フィクションにたくさん囲まれて育ったときの、
あの感覚」というのを共通に持っていて、
それをやるべきだと思ってたんだけど、
それ、今の若い子が持ってる感覚ではないのでは?
と疑ってしまったんだよね。

酔ってる時は「あれのあの感覚」
みたいな認識なんだけど、
そういえば「その感覚」って、
最近とんと味わってないんだよね。

いや、
「トップガンマーヴェリック」や、「RRR」からは強く感じたけど、
ヒーローものでしかないからかもだ。
さっき書いたロマコメもなくなったしな。

僕がベスト映画にあげてるような、
たくさんの映画に囲まれた幸せな時代の感覚と、
どんどんきな臭くなって衰退してる日本のいまの肌感とは、
随分違ってて、
「あの時の充実したフィクションたちに囲まれてる幸福」
が、
今ないんじゃない?ってふと気づいたんだよね。

マーケティングによるクラスタ分けで、
観客や視聴者が分断されてしまって、
広いマスへのコミュニケーションのレベルが落ちている。
90年代ははハイコンテクストでも大丈夫だったテレビが、
2000年以降くらいかな、中学生レベルに知的レベルを落とした。
共通の体験、共通の流行、共通の母型物語、
みたいな集合的無意識は、
マーケティングとクラスタリングで、
とっくにズタズタになってるんだろう。

90年代に10代だとしても、
今30オーバーしかその感覚がないってことか。
そりゃ鬼滅が流行るわけだわ。

だからたぶん、「おもしろい/おもしろくない」
の感覚の基準に、
「あのフィクションに囲まれた幸福の感覚」
の有無が関係ないのでは?
だから、「ある特定の人に刺さるもの」
しかつくられてなくて、
分断はますます加速しているのでは?
などと思った。

トップガンは、たまさかトムクルーズの感覚が、
それをなお保っているからで、
RRRは、マーケティング以前のもっと原始的な力でつくられた。

さて。

物語の幸福を我々が提供したとしても、
それを知らない世代が結構いる。
これは由々しき問題だね。
釣り餌が「物語の幸福」ではなくて、
知らない世代が欲しがる別の餌で釣らないとな。
posted by おおおかとしひこ at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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