はもう終わったのかな?
先日後輩と久しぶりに飲んだのだが、
「子供の頃、フィクションにたくさん囲まれて育ったときの、
あの感覚」というのを共通に持っていて、
それをやるべきだと思ってたんだけど、
それ、今の若い子が持ってる感覚ではないのでは?
と疑ってしまったんだよね。
酔ってる時は「あれのあの感覚」
みたいな認識なんだけど、
そういえば「その感覚」って、
最近とんと味わってないんだよね。
いや、
「トップガンマーヴェリック」や、「RRR」からは強く感じたけど、
ヒーローものでしかないからかもだ。
さっき書いたロマコメもなくなったしな。
僕がベスト映画にあげてるような、
たくさんの映画に囲まれた幸せな時代の感覚と、
どんどんきな臭くなって衰退してる日本のいまの肌感とは、
随分違ってて、
「あの時の充実したフィクションたちに囲まれてる幸福」
が、
今ないんじゃない?ってふと気づいたんだよね。
マーケティングによるクラスタ分けで、
観客や視聴者が分断されてしまって、
広いマスへのコミュニケーションのレベルが落ちている。
90年代ははハイコンテクストでも大丈夫だったテレビが、
2000年以降くらいかな、中学生レベルに知的レベルを落とした。
共通の体験、共通の流行、共通の母型物語、
みたいな集合的無意識は、
マーケティングとクラスタリングで、
とっくにズタズタになってるんだろう。
90年代に10代だとしても、
今30オーバーしかその感覚がないってことか。
そりゃ鬼滅が流行るわけだわ。
だからたぶん、「おもしろい/おもしろくない」
の感覚の基準に、
「あのフィクションに囲まれた幸福の感覚」
の有無が関係ないのでは?
だから、「ある特定の人に刺さるもの」
しかつくられてなくて、
分断はますます加速しているのでは?
などと思った。
トップガンは、たまさかトムクルーズの感覚が、
それをなお保っているからで、
RRRは、マーケティング以前のもっと原始的な力でつくられた。
さて。
物語の幸福を我々が提供したとしても、
それを知らない世代が結構いる。
これは由々しき問題だね。
釣り餌が「物語の幸福」ではなくて、
知らない世代が欲しがる別の餌で釣らないとな。
2023年06月17日
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