ワンピ実写化(ネトフリ)によって、
再び漫画実写化の議論が起きている。
(ワンピは未見なのでちょっとおいておくが、
尾田栄一が絡むとちゃんとするという先例はあるね)
映画は映像×物語だ。
映画の技術というときに、
映像技術はCGやデジタルで発展したが、
物語技術は発展するどころか、後退してるようにすら思える。
映像技術が貧弱だった頃は、
物語を面白くするしかなかったから、
並大抵のシナリオでは満足できず、
常に面白い物語こそが追求されていた。
その頂点のひとつは、
たとえば「12人の怒れる男」だ。
密室で話し合うだけで持たせる、
この物語技術よ。
(リメイク版は無視。
オリジナル版、1957年ヘンリーフォンダ版をさがすこと。
なお三谷幸喜の出世作「12人の明るい日本人」は、
これを元ネタにしている)
こうした、
シナリオの技術についてみんなもっと語るべきなのだが、
残念ながらそれは「むずかしいもの」
扱いされていて、議論にならないことが多い。
映像というガワに誤魔化されてることも多いね。
目を瞑って成立する部分が、
シナリオの部分と考えるとよいかもね。
で、
やっぱドラマ風魔はよくできてたなー、
なんてツイートがちょいちょい見かける。
見た人はわかってるんだよね。ありがたい。
> 同じ車田正美先生の作品でも CGの発達した聖闘士星矢は失敗して 旧来的な特撮技術の風魔の小次郎は成功していたんじゃないかと 個人的には思ってます きちんと原作読み込んで「原作通り」じゃなくても きちんとどこが面白いか把握する必要があるんだという月並みな話かも
「どこが面白いか把握する」は、
読解力という、
ものすごい基礎になる部分の技術だ。
スポーツで言えば100m走何秒みたいな。
そんな基礎技術が化け物のような人が、
スポーツ選手になる。
だけど、
シナリオにはその入門試験がないために、
物語の基礎技術がない人が、
シナリオを書くケースがとても多い。
そして関わる人々、
プロデューサー、スポンサー、
製作委員会、役者や監督すらも、
物語の基礎技術がないために、
「なんか違うかもしれないが、
これで行くんならこれで行くしかない」
なんて思いながらやってることが多い。
ドラマ風魔でもっとも評価されているのは、
シナリオだと僕は考えている。
だって絵はショボいし、予算かかってないし、
役者はそんなに上手くないし、
深夜の枠組みなのに「おもしろい」んだぜ。
しかも風魔の原作の面白さを損なわず、
さらに面白さを足し込んでいて、
決して原作の面白さより出しゃばらない。
これは、物語の基礎技術が出来ている、
シナリオライター(俺やその他の人々)や、
関わる人々がいたからこそなのだ。
こうした、
目には見えないのだが、
明らかに出来を左右する要素があり、
それこそが物語の基礎技術であるわけ。
目に見えないから難しい。
CGにいくらかかるとかは分かりやすいが、
シナリオにCGより金がかかるといったら、
「字だけなのに?」って思っちゃうかもしれないね。
日本は技術に金を払わず、
消費材や必要経費にしか金を払わない傾向がある。
だからそこに利益を乗っけて、
技術料を請求してきた歴史が長いよね。
原価厨なんてその典型だ。
脚本印刷料: 1000円
脚本技術料: 1000万円
なんて感じにいつかなるといいと思ってるが、
まずプロデューサーがそれに払えるかだよな。
ワンピ実写版はわからないが、
少なくとも、
映画はシナリオで9割決まる。
おもしろい、おもしろくないは、
コスプレの出来や絵のかっこよさや、
お芝居の迫真で決まるのではない。
そのお話がおもしろいかどうかで決まる。
そして、おもしろいお話を作れる人が、
シナリオライターという職業だ。
(小説家、戯曲家も)
「名文や名台詞を書ける人」ではないんだね。
名文、名台詞という「見えるもの」しか見てないって証拠だ。
見えないものが見えるようにならないと、
シナリオライターの仕事は評価できないのよね。
それを見えるようにするために専門用語があり、
三幕構成、感情移入、展開、ターニングポイント、
リバーサル、ミッドポイント、サブプロット、
テーマ、モチーフ、対比、擬人法、などなどがあるわけさ。
2023年09月04日
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