ラベリング。
三つ子が生まれたとしよう。
微妙に異なる外見、微妙に異なる性格があったとしても、
色違いの何かをつけて、区別をするに違いない。
大きくなるにつれて、
パッと見違いが分かるようになっても、
まだなお誰が誰かわかるようなものを、
たとえば鞄の色とか、制服のリボンやネクタイの色とかで、
区別できるようにしておくと思う。
これは自分たち(親)用の為、というよりは、
親しくない世間が区別できるように、
間違わないため、
という配慮であるような気がする。
つまり「キャラを立てる」ことの一環であると。
キャラが立てば、目立つ、つまり間違えられにくい。
詳しく見れば違いが分かるようなものから、
パッと見で違いが分り、
それをきっかけにより深く区別できるような、
きっかけづくりにするわけである。
全員がそうするとは限らない。
人の親にはいろいろな都合がある。
しかし、作品である場合は別だ。
頭の中で考えることだから、
都合など作り替えればよいのである。
キャラが立って、悪いことなどひとつもない。
そして、なぜガワでキャラ立てをするか、というと、
中身で区別がつきづらいものでも、
ガワで区別を先につけやすくしておこうぜ、
ということなのだ。
仮に中身がめちゃくちゃ区別がつき、
立ちまくっているものだとしても、
なおガワで区別がつくようにキャラが立っていたら、
もうバキバキによくなるよね。
ガワは中身のあいまいさをごまかしているやつじゃねえぜ、
相乗効果狙いだ、
って戦略を感じ取れるじゃない?
だから、
どちらにせよ、
ガワでキャラを立てておいたほうがいいんだよね。
もちろん、
ガワでしか区別できていない愚を避けるために、
最初からガワでキャラ立てしないほうがいい。
親もどっちか分からないのにリボンの色だけ変えられてもね。
だからきっちり中身の区別ができるようになるまで、
じっくり練ったあとに、
ガワでガンガン差別化していくと、
驚くほど彫りが深くなるぜ、
という相乗効果を言おうとしている。
なんでもいいんだ。服。ちょっとした風景。
しぐさ。口癖。
出来れば具体的なエピソード。
どんなことをやっても、
それらがイコンとなり、
中身の区別のシンボルとなるだろう。
無色透明だった世界に色が付き、色彩になりはじめる。
もちろん、ガワも微細な違いでなく、
相乗効果を狙うならば、
強烈にセンスのよいキャラ立てがあるべきだ。
いい色の組み合わせはいい響きを生むからね。
結果、両輪になる。
2023年12月03日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

