2024年01月03日

集中力はいつ途切れるか

つまらないポイントは、
たいてい集中力が切れたときだ。
どういうときだろう。


僕は、提供される情報量が、
少なすぎるか、多すぎるかの、
どちらかだと思っている。
情報量は計算的に出るものではないが、
時間当たりでなんとなく流量があるというのが実感だろう。

これが少なすぎると、
つまらなくなる。
新しい展開がなくて、
変わり映えがしなくなるからだ。

最初からずっとそうならば、
そういうゆるい系のストーリーかな、
とも思えるが、
最初怒涛のように情報量があって、
途中、それらが更新されなくなって、
ちょろちょろとしか水が流れてこなくなったら、
つまらなく感じるだろうね。

もちろん、
同じ世界でのマンネリが面白い、
ということもあるから、
一概に情報量低下だけが、
つまらないポイントとは限らない。

しかしミステリーなど、
情報を追いかけるタイプのものは、
途中で手掛かりがなくなったりして、
展開が停止してきたら、
ペースが落ちて、つまらなく感じるのは確実だ。

情報量が少なくなるのは、
ペースが落ちる、とも考えられる。
スピードが落ちた車はつまらない。
むしろ、どんどんスピードアップが求められているものが、
娯楽というものである。
どんどん緩くなってきたら、
あんまり面白くないよね。
新展開、新情報、新キャラ、新場所、
なんでもいいから、
新しくやっていくべきだろう。


これはなんとなく分かるかもだけど、
難しいのは、逆の情報量過多の場合だ。

難しい部分だから、
あんまり追及しても面白くない部分だから、
しかし示しておかないと次が分からなくなるから、
などの理由によって、
つまらない部分をなるべく短くして、
次々に提示していくようなパートがあると思う。
この時、
情報量が単位時間あたりに多く詰め込まれるために、
それが飽和して、
何が何だか把握する前に、
話が進んでしまうことがある。

これも逆の意味でつまらなくなるわけ。
消化不良という感じかな。
せっかく出てきたものを、
味わう前に終わってしまう感じだ。

もちろん、あんまりおもしろくないパートだから、
そういうことをしているんだけど、
それによって、
おもしろくないのが、輪をかけて面白くないことになってしまっている可能性が、
この情報量過多(絶対情報量が多くなくても、
単位時間あたりの情報量が多い場合、
情報量過多になってしまうよね)にあるわけ。

たとえば、
「1万年後」なんて情報量は、
かなりのギャップがあるよね。
だから、
それを提示されたときに、
すぐに話を進めてはいけないわけ。
「1万年後」という状況に、
観客が慣れるまで待つべきなんだよね。

いきなり1万年後に飛ばさずに、
事前に「3年後」とか、
大きく年が飛ぶ話なんだな、
とわかっていれば、
「1万年後」とかが急に来てもなんとかなるんだけど、
いきなりこれが来たら、
だいぶギャップを吸収するのに、
ふつうの人は時間がかかるわけ。

消化吸収するまで待ってあげるのも、
単位時間あたりの情報量を減らすやり方だ。

「1万年後」となったときに、
いきなり本編の続きを追わずに、
地球の気候はこうなっている、
生物はこうなっている、人類はこういう生き方をしている、
などを示して、それから本題の続きをやったりすれば、
そのギャップを吸収できたりするだろうね。


つまらないパートをさっさと通過したくて、
短くポンポンとつなぐことはよくあること。
しかし、
それによってあまりにも情報量が多くなるなら、
それは全体的につまらなさが増すことになってしまう。
だったら、全カットして、
「結局こうなったんだよ」と、
面白いパートから再開する手だってあるわけ。

どう書いてもつまらなくなるパートは、
どこかに大体あるものだ。
だから、
それに拘泥して、結局うまくいかなくなるくらいならば、
どこかをじっくり描いて面白くしたり、
いっそ全切り、
という選択肢もあることに気づこう。


適切な情報量が、適切に流れていれば、
それは面白い。
そうじゃないペースのときに、
注意するべきじゃないかな。
posted by おおおかとしひこ at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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