セリフを書こう。
どこで書くか、が問題だ。
なぜなら、セリフというのは、
文脈に依存するものだからだ。
いったん書き終えたとする。
リライト段階に入って、
いったん寝かせているとする。
その時、
ああ、こういうことを言えばよかったのだ、
とか、
こういうセリフを言わせたかった、
などのように、
セリフだけが勝手に出てくることがよくある。
キャラクターが自分の中に入っているからだろう。
このことを言い忘れた、
なんて感覚だ。
なので、メモを取る。
各キャラクターたちの、
こういうセリフを入れたいな、などというリストになるだろう。
だが、この思いつき、
十中八九うまくいかない、というのが経験則だ。
なぜなら、
セリフというのは文脈に応じて放たれるものであるべきだからだ。
後日の思いつきは、
「その文脈ではなく、別の落ち着いたところで思いついた言葉」だからね。
デートで、
「あの時こう言えばよかったのかも知れない」と、
あとで後悔することに似ている。
あの時はあの時の文脈があったんだから、
そんなことをその時言ったとしても無駄だった、
と思えないことが多い。
実際その文脈でそれを言ったらおかしなことになるはずなのに、
それを忘れて、
「あの時こう言えば状況は変わったのかも知れない」
などと妄想してしまうわけ。
セリフの思いつきも、
それに似ているんだよね。
文脈を分離して、言葉だけを思いついてしまう、
ということになるわけだ。
もちろん、
その思いついたセリフがとても良い場合もあるので、
それを入れ込めるように、
周囲の文脈ごと変えてしまう、
という作戦もなくもない。
だけど、
「その時の文脈や流れを壊す」のは、
結構危険だということは覚えておくとよい。
なぜなら、
その時の流れは、もっとずっと前からの流れを汲んでいるからである。
最初からの流れを汲んでいるから、
あれとこれを前提として進んでいて、
その言葉だけじゃなくて、言外にある意味を含んでいることがあるんだよね。
だけど、セリフだけ入れ替えると、
その言外の意味が無視されて、
表面にある言葉だけが交換されて、
言外や流れが捨てられてしまうことになるわけ。
そして、言外の意味が消失したことに、
表面だけ見てると気づかないことがまれによくあるぞ、
という話をしようとしている。
言外の意味があったから、
そのしょうもないセリフでもうまく機能していたかもしれないのに、
その言外の意味がない、
どや顔で思いついたセリフを挿入することで、
機能していた部分がなくなり、
よりつまらなくなる、
ということだってあるわけ。
今思いついたいいセリフに書き換えるべきだ、
と興奮して思っているときは、
そのセリフに加担している側になっているから、
元の原稿の言外の意味や文脈を、
読取り切れていないことが多い。
だから、ついつい、
言葉だけの表面的なセリフに書き換えてしまい、
せっかくよかった素朴な機能しているセリフを、
捨ててしまっていることもあるぞ、
ということなんだよね。
後世に引用されるほどになるような、
技巧的にすぐれたセリフを言わせたい、とか、
印象に残る言葉の組合せを考えた、
という欲望はわからなくもないが、
流れにのっとった言葉のほうがよっぽど良かったりする、
ということも覚えておくとよいだろう。
人は、今思いついたアイデアのほうを重要だと思う癖があるからね。
つまり、
あとで思いついたセリフに書き換えることは、
改悪の可能性もあるぞ、
とつねに考えるべきだ、ということだ。
文脈や流れがよければ、
無言という最上の選択肢もあり得るというのに、
たかがセリフを新しくしたい、
というのは、
間違った文脈の流れの可能性が高いと、
経験的に思う。
あとで思いついたセリフは、
その文脈のセリフじゃないことが多い、
と要約できようか。
思いつき、なんでこう書かなかったんだ、
と思うことは重要だけど、
そのメモはかなりの確率で前のセリフのほうがよかったりするぞ。
どっちがいいか、
全体を通し読みして判断することが大事だ。
近視眼的な直しは、全体に寄与しないことのほうが多いからね。
2024年10月08日
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