2025年03月09日

勝負あった

コンフリクトを描くのが物語である。
つまり、なんらかの勝負をするのが物語である。
主人公と敵、主人公とライバルなど、
競合したり競争したりするのが物語である。

で、その勝負のついた瞬間とは、
どのようなものか?


将棋で詰みになるような瞬間ってどういう感じかな。
格闘技でレフリーが止める瞬間ってどういう感じかな。
スポーツで時間切れになる瞬間が、
勝負あった、の瞬間かな。
それともそのだいぶ前に勝敗はついてたかな。
ビジネスで、ある企業やサービスが支配的になった瞬間ってどんなものだろう。
ツイッターが流行ったとき、
ガラケーよりスマホになったとき、
本屋からアマゾンになったときは、
どういう感じだったろう。

参りました、と相手が負けを認める時もあれば、
何度も負けを認めないが、
ずるずると後退していくこともあるだろう。
劇的に死ぬ時もあるだろう。
吸血鬼にガラスの上で襲われて、
天井のガラスが割れて吸血鬼が落下して、
クリスマスツリーの尖っているやつに刺さる、
なんて勝負の決着の瞬間はよくあるよね。

勝負している人同士だけじゃなくて、
観客全員が、
「勝負あった」と思うのが理想だ。
つまり同時がよい。

相手に2点差空けられても、
まだ3ポイントを入れられれば勝てる、
ブザーと同時に投げたシュートが3ポイントで入る、
なんて瞬間(ブザービートという)も、
よくある劇的な勝負あったの瞬間だ。

詰みの場合は、
あらゆる考えられる手段が手詰まりになって、
どうしても相手の攻撃を受けきれない、
と判断したときだろう。
将棋の場合は、将棋が分かる人しか分からないが、
映画の場合は、人生が分かる人ならばわかるような、
詰み方がいいと思うな。

ああ、人生詰んだ、みたいなことだね。
悪役、適役、ライバルが、
そのように察して膝から崩れる瞬間が、
勝負あった、になるのかもしれない。


どのような形でもよい。
しかし、映画なのだから、
それは劇的に越したことはない。
なるべく派手にやることだ。
そのあとの祝福を派手にやっても意味がない。
紙吹雪が舞い、美人に囲まれてシャンパンを開けてもあまり意味がない。
それよりも、
勝負あった、の瞬間が、
息詰まるバトルの結果、
そこしかないゴールにたどり着いたように、
一番興奮したいものだ。

その、オリジナルの瞬間をうまく描けたら、
映画史に残ると思うよ。

クライマックスの、
その瞬間のためだけに、
色んな伏線がある。
仕込み続けて仕込み続けて、
ついにその瞬間に来たときに、
緊張の糸がほぐれ、
もう戦わなくて済み、
命の危険が去り、
家に帰れる、
という瞬間になるわけだ。

2時間の娯楽はおしまい、
対局ありがとうございました、
という感じになる瞬間。

あとは安心する時間に過ぎない。
これまでの健闘をたたえあい、
緊張がほぐれて、
頭が整理される時間に過ぎない。
(だから映画のエンディングは、
決着がついたら5分以内で終われ、
という経験則がある。
クールダウンする前に暗転して、
満足を定着させよと)


あなたの物語の「勝負あった」の瞬間は、
どのようなものだろう。
他の物語の「勝負あった」の瞬間は、
どのようなものだろう。
研究して比較してみよう。

また、
大ラストの瞬間だけでなく、
途中の勝負あったの瞬間も考えよう。
交渉したが決裂したとか、
追い抜こうとして成功したとか、
そういう途中途中のターニングポイントの瞬間である。
それらを色々工夫することは出来るよね。
たとえば彼女がデートを受け入れた瞬間は、
一段階の勝負あったの瞬間だ。
これがウキウキさせるようになっていれば、
ストーリーは楽しくなってくるよね。
そんな感じ。


あなたが2時間かけて作って来た物語は、
どのような勝負あった、を迎えるのか。
それまでにどのような(小さな)勝負あった、
を乗り越えてきたのか。
それらをいくつ越えてきたのか。
そんなことを考えて、
骨格を俯瞰すると、
色々見えてくるものがある。

なるべく切れよく。
なるべく一撃で。
なるべく鮮やかに。
なるべく劇的に。
それが映画じゃないかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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