2024年12月22日

【薙刀式】練習の仕方を間違うとこうなる

Twitterから。
> キー配列変更して3~4日経過するけど現状ストレスマッハでたまってしゃーない
> これで効率あがらんかったらしばくぞ大西配列

段階的練習をすればストレスマッハまで行かないので、
この人は間違った練習法をしていると考えられる。


おそらくだけど、
「全文字を配列表から目で探して、拾い打ちしている」
状態と思われる。
それが3〜4日も続けばストレスマッハは想像に難くない。
急に字の書き方が全部変わって、
字が書けなくなったみたいなことだからね。

ケータイのベル打ちがフリックに変わった時も、
結構なストレスはあったが、
あかさたなの配置は変わらなかったので、
なんとか耐えられた。
規則配置で、あれはあそこにあることは、
初期状態でわかってたから。

だがqwertyというハチャメチャ配置から、
大西配列という別の整理へ行くには、
そんな簡単にはいくまい。


この人は二つの間違いを犯している。
1. 視覚情報を経由していること
2. 段階的に練習していないこと

逆にいうと、
1. 段階的に
2. 視覚を一切経由しない
が、
ブラインドタッチをマスターするコツだ。


僕がブラインドを意図的に使っている
(視覚障害者への差別的表現に抵触するとビビる人がいる中で。
厳密には差別表現ではない。
ブラインドコーナーや窓のブラインドという言葉もあるし、
そもそも「視覚情報を経由しない」は差別表現ではなく、
単なる事実だ。
僕が「タッチタイピング」を使わないのは、
ブラインドタッチはタッチ(触覚)でやるものではないからだ。
方向感覚やダンス感覚のようなものを触覚には普通含めない。
なので僕は「運動」と呼んでいる)
のは、
このように、「目を経由しない技能」を、
表現しているつもりだ。
ブラインドを言葉狩りするなら、アイレスでいいよ。


さて、これをマスターするには、
一気に広げるべきではない。

布団の右にスマホ、左にカバンを置き、
電気を消しても取れるようにすることはできるだろう。
右足の下にティッシュ、左下にリモコンを置こうか。
これも真っ暗な部屋の中で取れて、元に戻せそう。
そしたらスマホの向こうにPCを置き、
カバンの隣に充電器を置くか。
この辺でもうスムーズに取ったり戻したりすることは難しくなる。

いったんこの範囲で暗闇で咄嗟に動けるようにするだろう。
目的は部屋全体のものを取ることとしてもね。

そりゃいきなり、
部屋全体のものを取ることを目的にして、
カンペをいちいち見て取りに行ってたら、
出来るものも出来ないわ。

目を瞑ってやることなんだから、
徐々に届く範囲を広げる練習だろ。



こんな初歩的なことすら分からないのは、
ブラインドタッチの本質が理解されてないことを、
示唆していると思う。

よくキーボード配列を、
「あんな複雑なもの、どこに何があるか覚えきれない」
なんて敬遠するけれど、
我々は視覚的には覚えていない。
目で覚えるのではなく、体で覚えてるんだよね。
野球部が球を取ったら一塁に投げられるように、
体の感覚として「入ってる」に過ぎないのだ。

だからキー配列を「覚える」のではなく、
キー配列を「入れる」つもりにした方が良い。

語呂合わせで覚えるのは全く無意味どころか、
かえって体の感覚を作る時間を遅らせるので、
害悪まであるよ。


こうした「視覚でない身体感覚をマスターする」は、
実は義務教育では教えていない。

専門用語でいうと、
学校で教えるのは宣言知識(declarative knowledge)であり、
手続き知識(procedual knowledge)は教えていない。
後者の例は、逆上がり、でんぐり返し、走り方、跳び箱、
ボールの投げ方、取り方、ダンス、受け身、楽器などだ。

日本の体育教育の欠点は、
これらの出来ない人を出来るようにするメソッドが不足していることで、
「見様見真似でできない奴は落第」になることで、
「体育の授業は出来ない人にとっての拷問の時間で、
体育の授業で新しいスキルを獲得することはひとつもない」
ことなんだよね。

宣言知識はメソッドもたくさんあって
(チャート式とか、まとめ本とか、赤本とか)、
道具もたくさんあって
(赤い下敷きとか、色ペンとか、単語帳とか)、
自分に合うやり方を知る機会が増えるのだが、
手続き知識に関しては、
方法論がないことが学校教育のダメな点だ。

ダンスや楽器やスポーツを、
勉学よりなんとなく下に見てる風潮も影響してるよね。

僕個人は体育教育に恨みがあり、
体育の点数も低い人間だが、
合理的な配列をブラインドタッチすれば、
そこそこ速くなる(ATC 188)ことは示した。


ブラインドタッチが何に似てるか?
からマスター法を類推することは、
今の学校教育にはない範囲だと思うと良い。



段階的に、視覚を使わずに。
(具体的には「大西配列 練習法」でググレ。
たぶん僕の書いた記事もヒットする)


新しい盆踊りを覚える時にどうするか?
出来るところを増やしていく方法論を取るだろう。

なのになぜ大西配列の初日全運用をするのか。


これはこの人の問題ではなく、
社会全体の無知の問題である。

コツコツと啓蒙していきたい。
posted by おおおかとしひこ at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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