2025年03月03日

それをほんとうにわかってないと、書けない

調べ物をする意味は、
「それをほんとうにわかるため」だ。

仮に書かれたものが、
わかったものの1%だとしても、
それがわかってないと書けないのだとしたら、
その調べ物には意味がある。


嘴の絵を描く例がわかりやすかった。

> ここ数年で鳥のくちばしの開き方についての理解度が高まったため、自画像(?)の口を開けた顔の描き方がかなり変化している。
https://x.com/torikaworks/status/1888914292063568084

とても単純なかわいい漫画の線であるが、
それでも重要なのだ。
これを理解するには、
たとえばこんなものを理解すると良い。

https://oekaki-zukan.com/articles/9184

骨や関節の構造、ほっぺたがひっぱられる様などを、
理解してないとこう描けないという例。
これを全部わかってるから、




が、


 │


になるというわけだ。
たったこの線一本だよ。
そのためにこれらの理解が必要なわけ。


我々は絵を描くのではない。
だけど、
その人がどうやって生きてるのか(手段、タイムスケジュール、収支)、
その人がどういう人間関係で生きてるのか、
その人がどういう哲学で生きてるのか、
その人の住む世界の常識非常識、
などを、
調べもせずに書けるわけがない。

僕はたとえばキャバクラ嬢のそれを知らないから書けないので、
書きたいなら調べることになるだろう。
警察のことも知らないから、書くなら調べるだろう。
短編なら雰囲気で誤魔化せるけど、
長編になると調べ物が必要になる。
その人がどうやって生きてるかの軸足を調べなければならない。

それに関する書物を見たり、
そんな人のリアルな話を聞いたり、
そんな人と付き合う人の話を聞いたり、
複数のそれを調べることは大事だ。

その人の通勤ルートを実際にたどったり、
その人の行く場所に行ってみたりすることも大事だ。

自分が「書ける」と理解するまでやることをすすめる。

別に鳥の嘴が、


だからといって文句を言う人はいない。
 │
が入ってないからリアルじゃないと文句を言う人もいない。
そもそもそんなの気づかないかもしれない。

だけど、「私はわかってて表現しています」は、
強い自信になる。
本当の世界と架空の世界をつないでいる、手綱を握ってるからだ。

それは、一行を書くだけではなく、
別の一行を書くことにも役に立つ。
応用が効くのだ。
世界と世界を結べるほどの確信があるから、
自由な創作ができるわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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