という仮説。
脚本の教科書は構成、構成、構成、
あとちょっとキャラクターだ。
それで「書ける」と思わせて終わりな気がする。
でも、「構成が教科書通りになっていること」は、
面白さや名作性を保証しない。
なぜなら、面白さとは構成で決まるわけではないからだ。
構成とは展開の面白さや、
テーマが現代に刺さるとか、
キャラクターの妙とか、
グッとくるセリフとか、
なんという皮肉な場面、という驚きとか、
あまりにも悲劇だ、と思う場面とか、
楽しくてたまらん瞬間とかを、
指定しない。
あくまで「何分にこういう感じのことが起こる」
というだけのことだ。
要するに15分おきにCMが入るよ、
という程度のことしか言っていないと僕は考えている。
そんなん守れて当たり前じゃね?くらいに考えている。
だから、構成が出来なくてひいひい言っている人は、
何かストーリーの根本的なところを勘違いしているのでは?
とすら思う。
こんな構成があり得る、こんな構成もあり得る、
〇〇を〇〇ポイントだと思って尺調整をする、
みたいに構成術は使うのでは?
その程度の定規だぞ、と僕は思っている。
書く前は第一ターニングポイントが〇〇という所だったとしても、
いざ書いてみたら、
違うところが第一ターニングポイントになっていることだってある。
でもその場面で、
センタークエスチョンが暗示できて、
本編がここからいよいよ始まるな、と思えて、
まったく異なるストーリーライン、非日常のはじまりになっているならば、
それは第一ターニングポイントだと思う。
というか、第一ターニングポイントになりえるシーンなんて、
同じ脚本に複数あると思うよ。
それがおおむね25〜30分あたりにあると、
気持ちいいリズムだよね、
ということしかチェックしていないわけだ。
その他もおなじだ。
(ブレイクシュナイダービートシートについても、
高々15個くらいでしょ)
それはストーリーの面白さじゃないよね?
うねるストーリーラインとか、
テーマに感情移入できるかとか、
生れ変るほどの衝撃体験になるかとか、
危険にハラハラできるかとか、
二者択一に身もだえするほど悩むとか、
感動して手が震えるとか、
見たこともない景色を見るとか、
そういうことのほうが大事だよね?
でも、そういうのの書き方ってないんだよ。
ないから、教科書には載っていない。
そういうのを書くのは、思いつき、整理して、
色々なバージョンの中からベストを探せるのは、
才能しかないと思っている。
だから、僕は構成を勉強したり、気にしたりするのは、
所詮初級者レベルだと思っている。
もっと重要な、展開の面白さとかあるだろ、
それを考えるべきだろう、といつも思う。
まあ、そもそも構成がきちんとできていないものが多すぎるから、
初心者レベルで戦争が起こっているに過ぎないのだ。
シドフィールドの三幕構理論やブレイクシュナイダーのビートシートは、
三幕構成でものを書くように勉強している欧米人にとっては、
拡張くらいの感覚だと思う。
しかし、それより異質なストーリー文化で育ってきた、
日本人の伝統スタイルとは異なるがゆえに、
シドフィールドすごい、ハリウッドすごい、
などと崇拝してしまい、
日本人には本来学習されていない、
外国の理論を一から肉体に入れるまで、
時間がかかりすぎているような気がする。
僕の経験的には、たぶん5〜10本くらい、
2時間ものを書けば大体わかることなんだけど、
そこまでたどり着けない人のほうが多いんじゃないか。
僕は、自分なりに試行錯誤することが大事だと思っていて、
まあ何も頼るものがないから、
教科書のいうことを信じるしかない気持ちはよくわかる。
でも「教科書は嘘かもしれない」という態度で、
色々実験してみることが大事だと思うよ。
大岡の言っていることは全部ほんとうとは限らない。
半分以上間違っているかもしれない。
俺の経験によると、なんて所詮狭い経験の範囲のことしか、
言っていないかもしれない。
もっと優れた方法論がある、ということだってあるさ。
それらは、自分で検証するしかないのだ。
教科書に載っていない冒険をしよう。
教科書通りの冒険しかしたことないやつは、モテナイよね。
映画はそういうことだと思う。
2025年06月13日
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