2025年03月09日

この傑作があんなうんこ映画になったのか(小説「東京島」評)

ドラマ「風魔の小次郎」や特撮番組「セイザーX」を生んだ、
ゼネラルエンタテインメントという会社があった。
映画「東京島」の興行的失敗を機に解散して、
「風魔2」のチャンスは永遠に消えた。

その映画版「東京島」の脚本家が、
悪名高き、ドラマ「セクシー田中さん」の件で、
原作者を自殺に(結果的に)追い込んだ相沢友子。

映画版の出来はうんこだった。
長年映画化の夢を持って、ついに成し遂げたプロデューサーに、
試写会でどうだった?と感想を聞かれて、
「つまらなかった」と正直に答えた。

なぜプロデューサーが熱意を持ってあんなうんこ映画を作ってしまったのか、
意味がわからなかった。
そこで、その原点の小説を読んでみたいと思って、
ようやく仕事が一段落したので一気読みした。
傑作やん。

なんでこの傑作からあんなうんこ映画が出来上がるの?


僕は、この小説を読んで、
女が気持ち悪くなってしまった。

この物語に描かれている主人公清子は、
なんという汚くて身勝手で馬鹿で、
嘘つきなのだろうと思った。

それでも生きて成功している、
そのしぶといクソババアぶりが、
この物語の中心である。

一方男はひ弱でプライドが高くて、
すぐに死んだり狂ったりする。

女は強い、ということが言いたいのではない。

汚ない者は強い、というのが、
この物語のテーマなのかもしれない。



アナタハン島の事件が元ネタと聞いた。
無人島に漂着した男女の何年にもわたるサバイバル物語。
しかし女がたった一人しかいなかった。
彼女をめぐって殺し合いもあり、彼女は女王になり。

そんなドロドロが続くのかと思いきや、
全く異なる物語でなかなか読ませるのであった。

以下ネタバレ。








実は最初の第一章第一節だけの短編だったらしい。

それは東京島の「結婚式」からはじまる。
二年に一回くじ引きで夫を決める式だ。
その式にむけて、回想形式で何があったか語られる。
クルーザーの転覆、若い男たちが漂着、
東京の地名をつけた集落。
そこへ中国人たち(ホンコンと呼ばれる)も漂着して、
彼らが船をつくり、日本人たちを裏切り、
その船で島を出るところでおしまい。
ひ弱な日本人男たちを捨てて、
野生のある中国人のリーダー、ヤンに従う清子の、
汚ないタフさが描かれる。

とくに目を引いたのはラスト。
救助船が来た時用に、みんな最初に着てた服を大事に取っておいて、
普段は葉っぱで作った服を着ているという設定で、
ラストの一行で、
「あのお気に入りの服を着てこなかったことを後悔した」
という感じで、
最後の最後に「女」を見せて終わるのよね。

うわーすげえなこのオチ、って拍手しちゃったのよ。
うまく伏線ひいて、落とし所がすごいなと。

もうこの短編だけでいいじゃんってくらい。


そのあとはどうするんだ、と読み進めると、
なるほど群像劇なのよね。

ワタナベ、オラガ、逆鉾団地のなんとか(名前忘れた)
などのはみ出し者たちが主人公になったり、
島のリーダー軍司が主人公になったりと、
それぞれの目線から島の様子が語られる。

だから、最初の主人公清子の物語ではなくて、
群像劇として完成している。

巧みなのは、
わざと時系列をバラしているところ。
ああ、ここであっちのあそこに続くのか、
なんて連結がたくさんあって、
列伝から全体像を組み立てるおもしろさがある。
島という閉鎖空間の、
ゲームを見ているような気持ちになる。

でもこれさー、
結局オチは、脱出したのか、脱出できなかったのかの二択だよなー、
と思いながら読み進めたら、
ラストがすごいのさ。

清子が産んだのは双子で、
姉だけ連れて脱出して、
弟は島に残されて、
ラストはそれぞれの目線の群像劇で終わるわけよ。
群像劇パターンできたから素直に受け入れられる。
島に残されたままの日本人村で暮らす弟の話と、
脱出して東京に住む姉の話が語られておしまい。

そして、父も清子も、子供に嘘を教えている。
(大体ほんとうだけど核心を言ってない)

脱出できた世界線と、脱出できなかった世界線を、
同時に双子で走らせて終わるという、
無人島脱出もので初めて見たパターンのラストに、
驚愕したわ。
すばらしいアイデアだ。

しかも主人公清子は、
どこまでも自分主義者で嘘つきで。

それを「タフ」といえばそうだよなあと。

で、女って汚ねえな、タフだな、
っていう感想にたどりつく。




映画「東京島」を作ったプロデューサーは女性だ。
「女の話だから、女の脚本家に書かせたかった」と、その時に聞いた。

アナタハン島の話と聞いてたから、
「ハーレムとか恋愛の女の気持ちかなー」なんて思ってたけど、
とんでもない。
嘘をつき、全能感に満ち、猜疑心があり、
日和見主義で、コンプレックスが強く、
「私は悪くない」と開き直る、
汚ない女をどう描くか、
ということだったのだ。


ところが。

映画版でそんなの、一個でもあったっけ?
何も覚えてないんよね、つまんなかったから。

主人公清子の汚ない身の振り方とか、
全然なかった記憶。

主演は木村多江。表面を舐めた小綺麗な感じだったと記憶する。

原作の清子は40オーバーで、
中年太りでぶくぶくしているという設定だ。
だから夫に立候補する男が減ってきた、
という末期からはじまる。
いや、木村多江ならみんな行くやろ、
ミスキャストだと、原作を読んではじめて理解する。


映画版は、小説「東京島」の、
何を映画化したかったんだろう?
あの清子の汚さ、タフさを描かずして、
東京島を描いたことにならなくないか?

「女の脚本家に書かせたかった」まではわかる。
だが相沢友子の脚本は、
小説の1文字も理解してないホンだったんじゃね?

40オーバーでぶくぶくした女のふてぶてしさを、
金払って見るだろうか?
という興行的打算があったのは明らかだ。
だけどそこから逃げて、東京島を映画化したといえるのか?

映画女優さんはみんな美しいから、
清子を演じられるタフな女は、
ひょっとしたら舞台女優だったかもしれない。
木村多江じゃ儚すぎて、綺麗すぎて無理だろ。

パッと思いつかないが、
朝ドラに出てた頃の太った松坂慶子とかかなー。
あ、思い出した。
あの池脇千鶴が、いまや太ったおばさんになってて驚愕したんだった。
あの太々しさなら、清子を演じられるかもしれない。

あの太った感じよ。
無駄な贅肉が欲望まみれの生き方をしてきた証拠、
みたいなだらしなさよ。
嘘ついてでも生き抜く、負の強さみたいなことよ。

そうそう、沖さやかの漫画「マイナス」もそんな感じだったわ。
(発禁になった、
山で遭難して赤ちゃんを殺して食べる回とかな。
僕はリアタイで読んでた)

あと「誰も知らない」の子供を遺棄した母親(Youが演じてた)を、
思い出したな。責任感も何もない、勝手な女だった。





人間の、何をしてでも生きる力。

男なら殺したり騙したりするだろう。
女はおんな性を使って、弱いふりをして、
男を使い倒して踏み越えていく。

どちらも人間である。

汚くて身勝手で馬鹿で嘘つきで太ってる。
それが人間である、
という傑作であった。


この傑作をうんこ映画にして、
ゼネラルエンタテインメントを潰して、
なおかつドラマ「セクシー田中さん」で、
原作者芦原妃名子を自殺に追い込むこととなった、
相沢友子を、
記憶に留めるとしよう。

もし直接会うことがあったら、
僕の東京島の理解と、彼女の原作の理解について、
朝まで殴り合うことになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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