ドラマ「風魔の小次郎」や特撮番組「セイザーX」を生んだ、
ゼネラルエンタテインメントという会社があった。
映画「東京島」の興行的失敗を機に解散して、
「風魔2」のチャンスは永遠に消えた。
その映画版「東京島」の脚本家が、
悪名高き、ドラマ「セクシー田中さん」の件で、
原作者を自殺に(結果的に)追い込んだ相沢友子。
映画版の出来はうんこだった。
長年映画化の夢を持って、ついに成し遂げたプロデューサーに、
試写会でどうだった?と感想を聞かれて、
「つまらなかった」と正直に答えた。
なぜプロデューサーが熱意を持ってあんなうんこ映画を作ってしまったのか、
意味がわからなかった。
そこで、その原点の小説を読んでみたいと思って、
ようやく仕事が一段落したので一気読みした。
傑作やん。
なんでこの傑作からあんなうんこ映画が出来上がるの?
僕は、この小説を読んで、
女が気持ち悪くなってしまった。
この物語に描かれている主人公清子は、
なんという汚くて身勝手で馬鹿で、
嘘つきなのだろうと思った。
それでも生きて成功している、
そのしぶといクソババアぶりが、
この物語の中心である。
一方男はひ弱でプライドが高くて、
すぐに死んだり狂ったりする。
女は強い、ということが言いたいのではない。
汚ない者は強い、というのが、
この物語のテーマなのかもしれない。
アナタハン島の事件が元ネタと聞いた。
無人島に漂着した男女の何年にもわたるサバイバル物語。
しかし女がたった一人しかいなかった。
彼女をめぐって殺し合いもあり、彼女は女王になり。
そんなドロドロが続くのかと思いきや、
全く異なる物語でなかなか読ませるのであった。
以下ネタバレ。
実は最初の第一章第一節だけの短編だったらしい。
それは東京島の「結婚式」からはじまる。
二年に一回くじ引きで夫を決める式だ。
その式にむけて、回想形式で何があったか語られる。
クルーザーの転覆、若い男たちが漂着、
東京の地名をつけた集落。
そこへ中国人たち(ホンコンと呼ばれる)も漂着して、
彼らが船をつくり、日本人たちを裏切り、
その船で島を出るところでおしまい。
ひ弱な日本人男たちを捨てて、
野生のある中国人のリーダー、ヤンに従う清子の、
汚ないタフさが描かれる。
とくに目を引いたのはラスト。
救助船が来た時用に、みんな最初に着てた服を大事に取っておいて、
普段は葉っぱで作った服を着ているという設定で、
ラストの一行で、
「あのお気に入りの服を着てこなかったことを後悔した」
という感じで、
最後の最後に「女」を見せて終わるのよね。
うわーすげえなこのオチ、って拍手しちゃったのよ。
うまく伏線ひいて、落とし所がすごいなと。
もうこの短編だけでいいじゃんってくらい。
そのあとはどうするんだ、と読み進めると、
なるほど群像劇なのよね。
ワタナベ、オラガ、逆鉾団地のなんとか(名前忘れた)
などのはみ出し者たちが主人公になったり、
島のリーダー軍司が主人公になったりと、
それぞれの目線から島の様子が語られる。
だから、最初の主人公清子の物語ではなくて、
群像劇として完成している。
巧みなのは、
わざと時系列をバラしているところ。
ああ、ここであっちのあそこに続くのか、
なんて連結がたくさんあって、
列伝から全体像を組み立てるおもしろさがある。
島という閉鎖空間の、
ゲームを見ているような気持ちになる。
でもこれさー、
結局オチは、脱出したのか、脱出できなかったのかの二択だよなー、
と思いながら読み進めたら、
ラストがすごいのさ。
清子が産んだのは双子で、
姉だけ連れて脱出して、
弟は島に残されて、
ラストはそれぞれの目線の群像劇で終わるわけよ。
群像劇パターンできたから素直に受け入れられる。
島に残されたままの日本人村で暮らす弟の話と、
脱出して東京に住む姉の話が語られておしまい。
そして、父も清子も、子供に嘘を教えている。
(大体ほんとうだけど核心を言ってない)
脱出できた世界線と、脱出できなかった世界線を、
同時に双子で走らせて終わるという、
無人島脱出もので初めて見たパターンのラストに、
驚愕したわ。
すばらしいアイデアだ。
しかも主人公清子は、
どこまでも自分主義者で嘘つきで。
それを「タフ」といえばそうだよなあと。
で、女って汚ねえな、タフだな、
っていう感想にたどりつく。
映画「東京島」を作ったプロデューサーは女性だ。
「女の話だから、女の脚本家に書かせたかった」と、その時に聞いた。
アナタハン島の話と聞いてたから、
「ハーレムとか恋愛の女の気持ちかなー」なんて思ってたけど、
とんでもない。
嘘をつき、全能感に満ち、猜疑心があり、
日和見主義で、コンプレックスが強く、
「私は悪くない」と開き直る、
汚ない女をどう描くか、
ということだったのだ。
ところが。
映画版でそんなの、一個でもあったっけ?
何も覚えてないんよね、つまんなかったから。
主人公清子の汚ない身の振り方とか、
全然なかった記憶。
主演は木村多江。表面を舐めた小綺麗な感じだったと記憶する。
原作の清子は40オーバーで、
中年太りでぶくぶくしているという設定だ。
だから夫に立候補する男が減ってきた、
という末期からはじまる。
いや、木村多江ならみんな行くやろ、
ミスキャストだと、原作を読んではじめて理解する。
映画版は、小説「東京島」の、
何を映画化したかったんだろう?
あの清子の汚さ、タフさを描かずして、
東京島を描いたことにならなくないか?
「女の脚本家に書かせたかった」まではわかる。
だが相沢友子の脚本は、
小説の1文字も理解してないホンだったんじゃね?
40オーバーでぶくぶくした女のふてぶてしさを、
金払って見るだろうか?
という興行的打算があったのは明らかだ。
だけどそこから逃げて、東京島を映画化したといえるのか?
映画女優さんはみんな美しいから、
清子を演じられるタフな女は、
ひょっとしたら舞台女優だったかもしれない。
木村多江じゃ儚すぎて、綺麗すぎて無理だろ。
パッと思いつかないが、
朝ドラに出てた頃の太った松坂慶子とかかなー。
あ、思い出した。
あの池脇千鶴が、いまや太ったおばさんになってて驚愕したんだった。
あの太々しさなら、清子を演じられるかもしれない。
あの太った感じよ。
無駄な贅肉が欲望まみれの生き方をしてきた証拠、
みたいなだらしなさよ。
嘘ついてでも生き抜く、負の強さみたいなことよ。
そうそう、沖さやかの漫画「マイナス」もそんな感じだったわ。
(発禁になった、
山で遭難して赤ちゃんを殺して食べる回とかな。
僕はリアタイで読んでた)
あと「誰も知らない」の子供を遺棄した母親(Youが演じてた)を、
思い出したな。責任感も何もない、勝手な女だった。
人間の、何をしてでも生きる力。
男なら殺したり騙したりするだろう。
女はおんな性を使って、弱いふりをして、
男を使い倒して踏み越えていく。
どちらも人間である。
汚くて身勝手で馬鹿で嘘つきで太ってる。
それが人間である、
という傑作であった。
この傑作をうんこ映画にして、
ゼネラルエンタテインメントを潰して、
なおかつドラマ「セクシー田中さん」で、
原作者芦原妃名子を自殺に追い込むこととなった、
相沢友子を、
記憶に留めるとしよう。
もし直接会うことがあったら、
僕の東京島の理解と、彼女の原作の理解について、
朝まで殴り合うことになるだろう。
2025年03月09日
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