構成さえできれば脚本は書けると勘違いしている人は多いが、
そもそも構成すらできていないものは、
そもそも脚本にはならない、というだけの話だ。
なので、その構成とはどのようなものか、
逆にダメな構成とはどのようなものかについて議論する。
1 ひとまとまりの話になっていること
当たり前ではないか、と思われるだろうが、
意外とこれは難しいものだ。
詰らないものは、「ひとつの話」になっていないものが多い。
つまり、
話が始まったと思ったら、
それは解決せずに全然別の話になってしまうとか、
複数の話が入り乱れて、それらが関係ない別々の話であるとか、
話を終わらせるオチが全体をまとめていないとか、
本質の異なる複数の要素が入り混じってしまって、
ひとつの話になっていないのである。
「フロムダスクディルドーン」を見てみるとよい。
前半サスペンス、後半スプラッタになる、変な映画だ。
前半と後半がほとんど関係ないから、
「ひとつの話を見た」というよりは、「ニコイチを見させられれた」という印象が強い。
これは構成に問題がある。
ひとつの話を始めて、その話で終わっていないということだ。
これは極端な例だけど、構成が間違っている話は、
一つの話としていびつな構造になっているということだ。
もし一つの話ならば、
全体を説明して、話が始まる序盤があり、
それが解決して全体の意味を示す終盤があり、
それらは直接つながっているはずだ。
それが乱れているものは、
そもそも一つの話の構造を持っていないということだ。
全然違う序盤から始めたり、
全然違う終盤で終わるのはおかしいわけ。
そもそもストーリーというのは複数の話が同時進行している。
(サブプロット)
それらが一切関係ない話であれば、
「それが一本の話である」意味がない。
あることに関係する複数の話があって、
それらが相互作用して一本の話を編み上げるはずだ。
それらが存在する必然性があるから、一つの話になっているのだ。
それらが「一つ」を語るのに余計であったり、
不足しているなら、
それも大きく一つの話になり切っていないということだ。
あることに対する賛成と反対の立場が描かれているとか、
あることに対する複数の立場の話であり、
それらは最後に統合されるとか、
そういうことになっているはずだ。
そうなっていなくて、不足や余りがあるのは、構成が悪いのだ。
2 順番に理解できるようになっている
ミスリードしていく場合は別だけど、
多くの話は、「それを聞く順番を守れば理解できるようになっている」ものだ。
もっとも分かりやすいものは、
はじめから最後まで時系列で語ることだ。
起こった順番の因果関係がストーリーだからだ。
もちろん、ある程度省略して飛ばしたほうが分りやすくなったり、
結果から語って原因にさかのぼったほうが分りやすくなる場合もあろう。
あることを伏せておいて、
ラストに明かしたほうが面白くなるパターンもある。
しかし、言えることは、
「それを語るベストの順番で描かれている」ことだ。
こうなっていないのは、構成が下手だということだ。
3 視点が整理されている
一人に視点が固定されていると、話が分かりやすい。
入り乱れると、物事のとらえ方がややこしくなり、
起こった出来事の理解に混乱する。
その一人を主人公という。
もちろん、主人公だけではないので、
時々別の人の話が挿入される。(サブプロット)
しかしそれは1の原則から、全体に必要なものであり、
過不足なく提供されてるはずだ。
主人公の反対サイドの話(敵)や、
メインストーリーラインとは別の話なのだが、
いずれ合流する大切な話であったりする。
つまり、よくできている構成は、
一人の主人公に固定された視点をメインにして、
複数の視点で構成される可能性がある。
主人公と思われた人が途中で主人公ではなくなったり、
新たに主人公が発生するのは下手な構成だ。
そもそもそれは「一つの話」になっていないだろう。
4 テーマがあること
一つの話として語られるということは、
それが一つの意味に収束するということだ。
複数の意味が乱立しているような話は、
ややこしい話であり、整理された話とは言えない。
もちろん、
ストーリーというのは複数のサブプロットが同時進行するのだが、
これらが一つのテーマをうまく語れるように配置されていて、
「ひとつのテーマを語るために必要である」ときに、
それは意味のある配置だということになる。
つまり、それらがそのテーマのために、
必要十分であるとき、構成がうまいという。
そもそもテーマを語るために無駄なことをしていたり、
不足があって、
テーマを語るための必要十分になっていないものは、
構成が下手なのだ。
5 テンポが良いこと
人間の集中力は15分が限界だ。
だから15分単位、
もしくはそれ以下で話の注目点(焦点)を変えて、
次々に集中を変えていくことが大事だ。
終わる前に飽きられるのは、構成が下手なのだ。
同じことを延々やっているように見えたり、
飛ばし過ぎてついて行けないのは、構成が下手なのだ。
その為の大構造として使われるのが三幕構成理論で、
30分序盤、60分中盤、30分終盤にするとよい、
というものだ。
30分、90分の尻に大きなターニングポイントにあたり、
センタークエスチョンを示して方向性をつけ、
60分に大きなターニングポイントがあり、
前半と後半で変えていく、ということを言っている。
つまりこれは飽きられずに15分の集中力をどうコントロールするか、
ということを言っている。
30分単位だから、ほんとうは15分単位で考えるべきだ。
まあ大きくは30分単位でやっておいて、
細かいものは各自の色に任せる、
という理論が三幕構成理論である、と考えるとよいだろう。
つまり大づかみすぎる理論だねこれ。
話の下手な人は、飛ばし過ぎか、遅すぎる。
テンポが悪いのだ。
それは構成が悪い。
どれをどの程度語るべきかをコントロールされたものが、
良い構成である。
僕は、この5点が守れれば、良い構成になるし、
守れなければ下手な構成になると思う。
人物設定や事件の質や展開の仕方や、
世界設定や人物関係や変化のアークは、
構成に入っていないと思う。
つまり、話をつくることとは別に、
「語り方」というものがあるということだ。
それを構成と考えればよい。
「まず構成をつくれ」なんていうのは間違いで、
話の正体をつくってから、
「どう語るか」で、構成をつくるべきなのだ。
で、うまく語れないなら、
語りやすいように本体を変えるべきで、
変形してつまらない話になるなら、
それは最初から語るべき話ではなかった、
と僕は考える。
出口のない迷路に、入口から入ってしまっただけだと。
脚本の教科書を真に受けて、
序盤から書くぞー、
インサイトインシデントだー、次はなんだー、
なんてやっていると、
いつまで経っても書けない。
「話はできたのだが、どこからどういう順番で、
どれくらいの分量の配分で書くべきか」
を迷っているのが、
構成を考えている、という状態であることに注意するべきだと思う。
2025年07月08日
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