2025年07月20日

物語とは熱病である

そこにどれだけ観客を巻き込めるかだと思う。


よくできた物語は、
物語に勢いがあり、そして登場人物たちに感情移入が伴っている。

彼らの目的を理解し、応援している状態だ。
だからそれが達成できると喜ぶし、
挫折すると悲しいわけだ。
登場人物の気持ちになって最後まで見守ることが、
物語を楽しむということだろう。

これが出来ていない物語は、
詰らない。
勢いがなく、感情移入できない。
それは、物語という熱病に、罹患させていないということになる。


物語は熱病だと思う。
ふつうの状態じゃない。
起こることが非日常だから、ということもある。

とんでもない行動も、理由があるからだ。
ふつうの状態じゃない感情の上下も、
ふつうの状態じゃない事態だから起こるのだ。
ふつうならやらないことも、
ふつうじゃない理由があり、目的が出来ているから、
やるのである。
熱病のような状態で、
日常の感覚を一種麻痺させて、
最後まで導くことが、物語であると思う。


だから、途中で作者が覚めてはいけないと思う。
作者はいつまでも作中の出来事に夢中であり、
その熱が伝わらないと、観客も冷めてしまうだろう。
冷静じゃいられないようにしないと、
熱病としては面白くないに違いない。

どうやったらそこに巻き込めるのか。
作者の熱はひとつある。
どうしてもこれが語りたいのだ、という熱は、
わりと伝わる。
ただしそれが2時間分持つことは少ないかもしれない。

それだけでなく、
シチュエーションや起こっていることにそもそも興味を持っているかとか、
登場人物に感情移入出来ているかは、かなり大事だ。
興味も関心もないことには、
人は夢中になれない。
だからつまり、
興味を引き、登場人物を好きにならせろ、ということだ。

面白げなシチュエーションや奇妙な事件があり、
それを解決しようとしている人たちが気になり、
好きになり、なんなら離れたくないような、
そんな気持ちにさせることだ。
ああ、この人は好きだなあ、というのは、
容姿や雰囲気ではなくて、
こういうときにこういうことを言える人とか、
こういうことをできる人だから、好きになると思う。
それはあなた以上の魅力のある人である。

登場人物を自分にしてはいけないというのは、
あなた自身以上の魅力のある人を登場させられないということだ。
あなたが大した魅力がなくても、
架空のこの人だけは魅力的であることが理想だ。
それには、あなたとは異なる人の魅力を描く必要がある。

こんな時にこんなことが言える人、
黙ってこれが出来る人、
という風に描いていくと、
その人が好きになり、シンクロし、
感情移入していく事になるだろう。

興味も関心も引けていないものは、
どんなに熱があっても詰らないかもしれない。
その興味や関心は、
シチュエーションや事件や、キャラクターへの興味である。
よくある事件を描いてもつまらないのはそういうことだ。
新規性のある事件やシチュエーションを思いつけば、
興味や関心を引くことができるだろうね。


やることはいっぱいある。
どれかを怠っていると、
熱や関心を失い、物語は失速する。

熱を持つ物語というのは、全部できていることが多い。
posted by おおおかとしひこ at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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