なぜ脇役には個性的なキャラの立っているやつがいるのか。
プロットに対して無責任でいられるからだ。
逆にいうと、主人公は責任があるから、
キャラが立ちにくいのだ。
少年ジャンプの問題で、
主人公が無個性になり、
魅力あるキャラの立ちまくった脇役に負けて、
出番が減っていくことがよくある。
これはバトルものの元祖とも言える、
ジャンプの祖、リングにかけろからあった出来事だ。
主人公の高嶺竜児はキャラが薄く、
ほかの強烈なキャラ、剣崎、石松、志那虎、河合、総帥に比べると目立っていなかった。
なぜだろう?
キャラ設定が、あとから出るキャラほど調子が乗ってきて、
どんどん立っていくキャラになるのだろうか?
僕はそう思わない。
「立っているキャラほど、無責任でいられるから」ではないかと思っている。
主人公はメインプロット、メインテーマを担う。
これが解決したら終わりというセンタークエスチョンを閉じる人であり、
アンカーの役割を持っている。
だから、責任がある。
何に、というと、ストーリー全体に、ということだ。
つまり、主人公がストーリー全体を決めるということだ。
脇役にその重荷はない。
だから無責任でいられる。
だから羽を伸ばせるのだ。
「幽遊白書」の飛影がなぜキャラが立っているかを考えれば、
明らかだ。
彼はストーリー全体に責任を負っていないし、
感情移入などどうでもよい。
だから勝手に立つことができる。
彼のサブプロット「妹の雪菜を探す」に、
我々は感情移入していない。
「何が何でも雪菜を探したい」と我々は思っていないし、
仮に見つかっても「よかったねえ」でしかなくて、
号泣するわけではない。
つまり、
サブキャラクターの目的など、
ぶっちゃけどうでもよいという認識で我々はストーリーを見ている。
逆に、メインキャラクターの動機や目的には、
我々の感情移入は不可欠だ。
それがあるから、最後までこれを見届けようという気持ちになるのだ。
逆にそのような感情移入がなく、
だらだらと見ているのはストーリーとしてすでに求心力を失っている、
危険な状態だといえる。(仙水編がその代表)
で、サブキャラにはこの義務がない。
別に雪菜を探そうが探さなかろうが、どちらでもよくて、
再会したらよかったねー、レベルでしか思わないのだ。
その分を犠牲にして、
サブキャラは立つことが出来る。
と思うわけ。
邪眼も、邪王炎殺黒龍波も、短い剣も、
小さな体も、生意気な態度も、主人公には難しい。
サブキャラだからこそ立つ要素がたくさん入っているわけだ。
だから、多分飛影を主人公にしたスピンオフは、
本編ほど飛影のキャラは立たないと思う。
ストーリーの責任を背負ってしまうからだ。
無責任に立つことが出来ないだろう。
逆に、その飛影主人公スピンオフに出てきた幽助のほうが、
キャラが立つことができるんじゃないか、とすら思うね。
そういうものは見たことがないので推測だ。
仮に雪菜をさらったやつを倒しに行く、
という話だとして、それに物凄く感情移入させるものが出来ているとして、
蔵馬もピンチになったときに、
颯爽と霊丸を撃つ街の喧嘩自慢がやってきたら、キャラが立つに違いない。
というわけで、
キャラを立たせたかったら、
まずは脇役を立たせることを考えるとよい。
それでいて、主人公は自分ではなかったのだから、
ストーリーの責任を負える範囲で、
キャラを立てていってもよい。
スーパーマンにしてもいいし、
ぐうたらにしてもよい。
いかようにもキャラは立てることが出来るが、
それ以上に脇役のほうがキャラを立てられることに気づくと思う。
それはなぜか、と考えると、
上のような議論が成り立つ、というわけだね。
脇役は、主人公ほど大した行動をする必要がない。
だから、ガワで立つのである。
ざっくりいうとそういうことだ。
逆に主人公を立たせるのは、
スペックではなく行動で、である。
2025年08月06日
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