2025年08月06日

脇役は無責任に立てられる

なぜ脇役には個性的なキャラの立っているやつがいるのか。
プロットに対して無責任でいられるからだ。

逆にいうと、主人公は責任があるから、
キャラが立ちにくいのだ。


少年ジャンプの問題で、
主人公が無個性になり、
魅力あるキャラの立ちまくった脇役に負けて、
出番が減っていくことがよくある。

これはバトルものの元祖とも言える、
ジャンプの祖、リングにかけろからあった出来事だ。
主人公の高嶺竜児はキャラが薄く、
ほかの強烈なキャラ、剣崎、石松、志那虎、河合、総帥に比べると目立っていなかった。

なぜだろう?
キャラ設定が、あとから出るキャラほど調子が乗ってきて、
どんどん立っていくキャラになるのだろうか?

僕はそう思わない。
「立っているキャラほど、無責任でいられるから」ではないかと思っている。


主人公はメインプロット、メインテーマを担う。
これが解決したら終わりというセンタークエスチョンを閉じる人であり、
アンカーの役割を持っている。
だから、責任がある。
何に、というと、ストーリー全体に、ということだ。
つまり、主人公がストーリー全体を決めるということだ。

脇役にその重荷はない。
だから無責任でいられる。
だから羽を伸ばせるのだ。

「幽遊白書」の飛影がなぜキャラが立っているかを考えれば、
明らかだ。
彼はストーリー全体に責任を負っていないし、
感情移入などどうでもよい。
だから勝手に立つことができる。

彼のサブプロット「妹の雪菜を探す」に、
我々は感情移入していない。
「何が何でも雪菜を探したい」と我々は思っていないし、
仮に見つかっても「よかったねえ」でしかなくて、
号泣するわけではない。
つまり、
サブキャラクターの目的など、
ぶっちゃけどうでもよいという認識で我々はストーリーを見ている。

逆に、メインキャラクターの動機や目的には、
我々の感情移入は不可欠だ。
それがあるから、最後までこれを見届けようという気持ちになるのだ。
逆にそのような感情移入がなく、
だらだらと見ているのはストーリーとしてすでに求心力を失っている、
危険な状態だといえる。(仙水編がその代表)


で、サブキャラにはこの義務がない。
別に雪菜を探そうが探さなかろうが、どちらでもよくて、
再会したらよかったねー、レベルでしか思わないのだ。

その分を犠牲にして、
サブキャラは立つことが出来る。
と思うわけ。

邪眼も、邪王炎殺黒龍波も、短い剣も、
小さな体も、生意気な態度も、主人公には難しい。
サブキャラだからこそ立つ要素がたくさん入っているわけだ。

だから、多分飛影を主人公にしたスピンオフは、
本編ほど飛影のキャラは立たないと思う。
ストーリーの責任を背負ってしまうからだ。
無責任に立つことが出来ないだろう。

逆に、その飛影主人公スピンオフに出てきた幽助のほうが、
キャラが立つことができるんじゃないか、とすら思うね。
そういうものは見たことがないので推測だ。
仮に雪菜をさらったやつを倒しに行く、
という話だとして、それに物凄く感情移入させるものが出来ているとして、
蔵馬もピンチになったときに、
颯爽と霊丸を撃つ街の喧嘩自慢がやってきたら、キャラが立つに違いない。


というわけで、
キャラを立たせたかったら、
まずは脇役を立たせることを考えるとよい。
それでいて、主人公は自分ではなかったのだから、
ストーリーの責任を負える範囲で、
キャラを立てていってもよい。
スーパーマンにしてもいいし、
ぐうたらにしてもよい。
いかようにもキャラは立てることが出来るが、
それ以上に脇役のほうがキャラを立てられることに気づくと思う。
それはなぜか、と考えると、
上のような議論が成り立つ、というわけだね。


脇役は、主人公ほど大した行動をする必要がない。
だから、ガワで立つのである。
ざっくりいうとそういうことだ。

逆に主人公を立たせるのは、
スペックではなく行動で、である。
posted by おおおかとしひこ at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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