アニメや漫画が一週間おきだから?
一週間で制作できるページ数、尺数には限界がある。
だからストーリーの焦点への興味よりも、
キャラへの興味の方が強くなるのでは。
ストーリーは「この先どうなるのか」という、
一方向への線。
一方キャラクターへの興味は、
「この人はどうなのか」という、
無限方向への線だ。
一週間ぶんのストーリーの線が短いと、
無限方向への線の方が、
豊かに見えるのでは。
そこで、待たされる一週間の間、
「次はどうなるんだろう?」という短い線への興味持続は難しく、
「このキャラはどうなんだろう?」という、
複数の無限方向への興味持続の方が「もつ」のでは。
で、
ああでもない、こうでもない、
と妄想する時間は、
ストーリー展開よりもキャラのほうが長くなるのでは。
また、
ストーリー展開は公式の正史ひとつしかないが、
キャラの無限可能性は隙間はいくらでもある。
「この時このキャラは出番がなかったので、
こうしてたに違いない」という隙間だ。
これらの要素によって、
キャラクター中心の二次創作が捗りやすいのではないか。
もっとも、
ストーリーの二次創作(たとえばif展開、
並行宇宙的展開)のほうが、
キャラクターの二次創作よりも難易度が高い、
というのもある。
キャラクターの二次創作は、
人形遊びやごっこ遊びの延長であり、
ストーリーを創作する能力よりも、
原始的な能力ベースでできると思う。
(そもそも役割を演じることは、
人間の基本的な能力に入っていると思われる)
というわけで、
公式のストーリーの間に、
キャラ同士が別のことをしたり、
なんなら休みの間に、キャラ同士の別の面を見て、
愉しむという娯楽が生まれたのだろう。
そしてそれは、
「芸能人のプライベートを覗き見する」
「部長の裏の顔を知る」みたいな、
人の別の面を覗き見ることの悦楽になるのではないか。
それがBLなのかそうでないかはおいといて、
二次創作がキャラ遊びが多く、
ストーリー遊びが多いわけでない理由は、
こんなところかもしれない。
もちろん、
二次創作を続けた結果、
キャラを動かしてストーリーを作ることに、
目覚める、慣れることも可能だから、
二次創作はストーリー創作の入り口になる可能性はある。
だけど、多くの場合、二次創作は、
キャラ遊びで終わってしまう可能性が高い。
なので、
二次創作をしてもよいけど、
一次創作の能力を伸ばすほどには役に立たないのでは、
というのが僕の実感。
出力の形は一見似てるのだが、
中身や目的がまるで違うので、
ぱっと見区別がつきにくいのが問題だ。
ある囲われた枠の中で遊ぶのが二次創作。
その柵を突破して次の場所をつくるのが一次創作、
と考えても良い。
2025年08月15日
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