2025年08月15日

なぜ二次創作が発展したのか

アニメや漫画が一週間おきだから?


一週間で制作できるページ数、尺数には限界がある。
だからストーリーの焦点への興味よりも、
キャラへの興味の方が強くなるのでは。

ストーリーは「この先どうなるのか」という、
一方向への線。
一方キャラクターへの興味は、
「この人はどうなのか」という、
無限方向への線だ。

一週間ぶんのストーリーの線が短いと、
無限方向への線の方が、
豊かに見えるのでは。

そこで、待たされる一週間の間、
「次はどうなるんだろう?」という短い線への興味持続は難しく、
「このキャラはどうなんだろう?」という、
複数の無限方向への興味持続の方が「もつ」のでは。

で、
ああでもない、こうでもない、
と妄想する時間は、
ストーリー展開よりもキャラのほうが長くなるのでは。

また、
ストーリー展開は公式の正史ひとつしかないが、
キャラの無限可能性は隙間はいくらでもある。
「この時このキャラは出番がなかったので、
こうしてたに違いない」という隙間だ。


これらの要素によって、
キャラクター中心の二次創作が捗りやすいのではないか。

もっとも、
ストーリーの二次創作(たとえばif展開、
並行宇宙的展開)のほうが、
キャラクターの二次創作よりも難易度が高い、
というのもある。

キャラクターの二次創作は、
人形遊びやごっこ遊びの延長であり、
ストーリーを創作する能力よりも、
原始的な能力ベースでできると思う。
(そもそも役割を演じることは、
人間の基本的な能力に入っていると思われる)



というわけで、
公式のストーリーの間に、
キャラ同士が別のことをしたり、
なんなら休みの間に、キャラ同士の別の面を見て、
愉しむという娯楽が生まれたのだろう。

そしてそれは、
「芸能人のプライベートを覗き見する」
「部長の裏の顔を知る」みたいな、
人の別の面を覗き見ることの悦楽になるのではないか。


それがBLなのかそうでないかはおいといて、
二次創作がキャラ遊びが多く、
ストーリー遊びが多いわけでない理由は、
こんなところかもしれない。

もちろん、
二次創作を続けた結果、
キャラを動かしてストーリーを作ることに、
目覚める、慣れることも可能だから、
二次創作はストーリー創作の入り口になる可能性はある。

だけど、多くの場合、二次創作は、
キャラ遊びで終わってしまう可能性が高い。



なので、
二次創作をしてもよいけど、
一次創作の能力を伸ばすほどには役に立たないのでは、
というのが僕の実感。

出力の形は一見似てるのだが、
中身や目的がまるで違うので、
ぱっと見区別がつきにくいのが問題だ。

ある囲われた枠の中で遊ぶのが二次創作。
その柵を突破して次の場所をつくるのが一次創作、
と考えても良い。
posted by おおおかとしひこ at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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