2025年08月22日

どのタイミングで好きになったのか

リアルと創作で違う、って僕は感じている。

極論すると、
創作では、「ここで好きになった」が存在する。
リアルにはほぼない。


リアルをまず考える。
一目惚れを除いて、
実は人が人を好きになるのは「徐々になる」
がリアルだと考える。

ただの公的な関係から始まって、
徐々に距離を縮めて、
いくつかのエピソードがあって、
あ、この人と合うかも、
この人を好きになってるかも、
会いたいな、
などのようにだ。

劇的な要素はとくに必要なくて、
いくつかの共通点の発見とか、
いくつかの相違点の発見とか、
そんなものの積み重ねが多いと思う。

身の回りの女子に、
なぜその人と付き合ってるのか、
どのタイミングで好きになったのか、
を聞いてみると良い。

強いて言えばあのときだけど、
とくに強烈な一点はない、
なんとなく、
のような答えが多いと思う。


このリアルを創作に持ち込むと、
「ぼんやりしている」
「どのタイミングで好きになったのかわからない」
と言われる。
逆に創作では、
「こんなことされたら好きになっちゃう」が必要だということだ。
「惚れてまうやろ〜!」が欲しい、
ってことだね。

いつ好きになったのか分からない、リアルな段階を踏むよりも、
ガツンと「すき…」になるほうが、
みんな見たいわけさ。


それはすなわち、
「日常の刺激よりも、
創作の刺激が勝らなければならない」
ということだ。


その辺の日常に転がっているものを、
わざわざ金を払って見ない。
人は非日常を見たい。
それはつまり、
「この瞬間に好き!となる、好きになる場面」
が娯楽になるということである。


とくに少女漫画にはそれが溢れている。
リアルの男子にされたらドン引きしたり、
自分がされたらドン引きするが、
創作の世界のイケメンと女子なら、
何度でも見たいものというのはよくある。

マンガだろそれ、と思いながら、
実はそれが欲しいと思っている、
アンビバレンツがあるということだ。



創作はリアルではない。
だけど変なところでリアルにしてしまう。
それはリアリティの履き違えだ。

好き!って場面が見たいのをわからず、
リアルだからといってダラダラやるのは、
下手なのだ。

逆に一発で皆が惚れ惚れする場面を書けるから、
プロでやれるというわけさ。



でもそれって難しいよね。
だからみんな工夫をしている。

僕が腹抱えて笑ったけど大好きなその場面は、
「ミッションインポッシブル2」で、
崖道で車2台して、
互いに並んでスピンする場面。
主人公イーサンと相手の女スパイ(?)なんだけど、
「お互い同等の腕を持つ、同じ匂いの人間」と感じて、
しかもオープンカーなのに、互いに見つめ合って、
社交ダンスのように踊るようにスピンするんだよね。
「社交ダンスで抱き合った二人は惚れる」という、
ハリウッドの古典法則をうまく使った、
ジョンウーにしか描けない「惚れてまうやろー!」の場面だ。
その瞬間、情熱的なギター一本のフラメンコもかかってなかったっけ。

確かにこの瞬間に好きになったな、とわかる。
派手でオリジナルで分かりやすい。
うっとりするかというと爆笑なんだけど、
こういうやり方もあると学ぶことだ。




創作とはつまり、
そうした「創意工夫」のことである。

リアルを一発に、ドラマチックに圧縮する、
その創意を競っている。

これがリアルだから、とドキュメント撮ってるのは、
バカの一派である。

極端なものを外連味という。
激辛からマイルドまで、色々あるのだよ。
posted by おおおかとしひこ at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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