リアルと創作で違う、って僕は感じている。
極論すると、
創作では、「ここで好きになった」が存在する。
リアルにはほぼない。
リアルをまず考える。
一目惚れを除いて、
実は人が人を好きになるのは「徐々になる」
がリアルだと考える。
ただの公的な関係から始まって、
徐々に距離を縮めて、
いくつかのエピソードがあって、
あ、この人と合うかも、
この人を好きになってるかも、
会いたいな、
などのようにだ。
劇的な要素はとくに必要なくて、
いくつかの共通点の発見とか、
いくつかの相違点の発見とか、
そんなものの積み重ねが多いと思う。
身の回りの女子に、
なぜその人と付き合ってるのか、
どのタイミングで好きになったのか、
を聞いてみると良い。
強いて言えばあのときだけど、
とくに強烈な一点はない、
なんとなく、
のような答えが多いと思う。
このリアルを創作に持ち込むと、
「ぼんやりしている」
「どのタイミングで好きになったのかわからない」
と言われる。
逆に創作では、
「こんなことされたら好きになっちゃう」が必要だということだ。
「惚れてまうやろ〜!」が欲しい、
ってことだね。
いつ好きになったのか分からない、リアルな段階を踏むよりも、
ガツンと「すき…」になるほうが、
みんな見たいわけさ。
それはすなわち、
「日常の刺激よりも、
創作の刺激が勝らなければならない」
ということだ。
その辺の日常に転がっているものを、
わざわざ金を払って見ない。
人は非日常を見たい。
それはつまり、
「この瞬間に好き!となる、好きになる場面」
が娯楽になるということである。
とくに少女漫画にはそれが溢れている。
リアルの男子にされたらドン引きしたり、
自分がされたらドン引きするが、
創作の世界のイケメンと女子なら、
何度でも見たいものというのはよくある。
マンガだろそれ、と思いながら、
実はそれが欲しいと思っている、
アンビバレンツがあるということだ。
創作はリアルではない。
だけど変なところでリアルにしてしまう。
それはリアリティの履き違えだ。
好き!って場面が見たいのをわからず、
リアルだからといってダラダラやるのは、
下手なのだ。
逆に一発で皆が惚れ惚れする場面を書けるから、
プロでやれるというわけさ。
でもそれって難しいよね。
だからみんな工夫をしている。
僕が腹抱えて笑ったけど大好きなその場面は、
「ミッションインポッシブル2」で、
崖道で車2台して、
互いに並んでスピンする場面。
主人公イーサンと相手の女スパイ(?)なんだけど、
「お互い同等の腕を持つ、同じ匂いの人間」と感じて、
しかもオープンカーなのに、互いに見つめ合って、
社交ダンスのように踊るようにスピンするんだよね。
「社交ダンスで抱き合った二人は惚れる」という、
ハリウッドの古典法則をうまく使った、
ジョンウーにしか描けない「惚れてまうやろー!」の場面だ。
その瞬間、情熱的なギター一本のフラメンコもかかってなかったっけ。
確かにこの瞬間に好きになったな、とわかる。
派手でオリジナルで分かりやすい。
うっとりするかというと爆笑なんだけど、
こういうやり方もあると学ぶことだ。
創作とはつまり、
そうした「創意工夫」のことである。
リアルを一発に、ドラマチックに圧縮する、
その創意を競っている。
これがリアルだから、とドキュメント撮ってるのは、
バカの一派である。
極端なものを外連味という。
激辛からマイルドまで、色々あるのだよ。
2025年08月22日
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