2025年05月29日

物語とイコン(「アマデウスディレクターズカット」評3)

アマデウスの主役はサリエリである。
だけどよう知らん人だし、
役者もよう知らん人だし、
地味な顔をしている。(その凡庸さがテーマなのだが)

だからこの物語はイコンになりにくい。
今回はネタバレなしでいきます。


映画ポスターをググると、
いくつかのパターンが出てくる。
一番有名なのはこれ。
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劇団四季版でも使われてたので、
おそらくブロードウェイ版のポスターかと思われる。

この不気味な黒い男がアマデウスかというとそうではない。
劇中ではほとんど出番がなく、
映画内でも1カットしかでない、
父のマント姿だ。
モーツァルトは父に怯えていて、
父の死後もその幻影に取り憑かれていて、
サリエリはそれを利用して彼を追い詰めていく。
だからシャドウ的なモチーフではあるのだが、
本筋ではない。

だけど不気味で面白い絵なので、宣伝に使われたのだろう。
この黒騎士を想像していくと裏切られるけどね。
一応、暗い情念や幻影を意味している、
とギリギリテーマに引っ掛けられるけど、
物語のイコンからは遠い。
「絵として強い」という客引きの理由だろう。
だけどAVのパケ詐欺、風俗のパネルマジック、
羊頭狗肉の誹りを受けて当然である。

次のイコン。
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モーツァルトがオペラの指揮をしているカット。
モーツァルトをイコンにするのは、
この物語を理解していない。
これはサリエリの話だからだ。
ただ、地味なオッサンよりも、華麗な若者、
しかもその晴れ姿をイコンにしたいのは、
わからなくもない。
アマデウスというタイトルを乗っけたものもあった。
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これはタイトルのダブルミーニングを生かしきれていない。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、
神に愛された(=アマデウスの意味)、
才能のあった男であるが、
この物語は「神に愛されなかった男が、神に愛された男を恨む」
話である。
つまり「アマデウス」は逆の意味のタイトルだ。

もし本当にこのタイトルを理解しているならば、
闇の中にいるサリエリ(黒騎士の格好をしている)が、
光の中にいるモーツァルトを睨んでいる絵になるはずだ。

こうしない理由は、
作品の理解が浅く、
「これはモーツァルトが出る音楽劇です!」
くらいしか意味していないからだ。

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黒騎士のシルエットの中にこのモーツァルトを入れたのは、
まあ二重性を理解したデザインだ。

ただし「一つの絵」になってないがゆえに、
記憶に残らない。
これがイコンの難しいところ。
前と後ろに仮面がついてる、横顔を使って、
二重性を表現しようとしているのもあるが、
これも伝わらないね。
わかるけど伝わらんというやつだ。

サリエリがこのマントをかぶってれば、
意味がわかるのだが、
なんとも地味なポスターになるに違いない。
サリエリ役の人は顔に華がない。
だからこの物語になるんだけどさー。

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松本幸四郎版。
さすが松本幸四郎だけあって、
サリエリが全面に出ている。
だけどよくわからんね。
オジサンが若者を妬んでいる宮廷劇、
という情報量しかないよね。
まあブロッコリー&顔芸の範疇だ。

もっとも、これを上演した時点で、
「あのアマデウスを松本幸四郎が?」が最大の客引きだったので、
それを果たしているだけで機能はしている。

僕の意見は3番で、
もっと黒騎士を大きく、モーツァルトを小さくした方がいいと思う。
全面に出すのはあくまで黒騎士で、
モーツァルトは獲物ぐらいに見えた方が良い。
そしてこれは実写で再現して、
顔が半分闇で隠れたサリエリであるべきだと思う。

つまり、二面性をサリエリの顔半分に当たった光と、
残りの半分の闇で表現する、的なことだ。

ひょっとしたらモーツァルトの絵は不要かもしれない。
その方が不気味だからね。
でもあった方がジャンルが分かりやすいと思う。

アマデウスというタイトルは、だからモーツァルトにかけるのではなく、
モーツァルトとサリエリの間に置くべきだ。
神に愛された男と、愛されなかった男の、
両方にかかるべきだと思う。


また、邦訳タイトルは「アマデウス」でいいだろうか?
有名ブロードウェイだからそのまま、
という思考停止もなくもないが、
これまでのことをすべて勘案できないか?

シンキングタイム。





「神に愛された男」でいいと思うな。
ふりがなで「アマデウス」とつければ完璧か。
(ダサいけど「アマデウス: 神に愛された男」もなくもない)

(正確には「神に愛されなかった男」なんだけど、
アマデウスと整合性が取れないので、
モーツァルトを意味するだけでいいと思った)

ただ、「アマデウス」という謎の言葉の響きと、
なんだかミステリーチックな感じがワクワク感を煽るから、
当時の時代背景としては正しかった可能性はある。
'85年だからバブル真っ只中だし、
文化を消費する、浪費の時代だったしな。

ただ、今公開するとしたら、
もっと作品の本質に迫るべきだと思う。

極論「神に愛されなかった男サリエリ」でもいいよな。


ここまで分析すると、
これは一人称小説なのだ、
ということがよくわかると思う。
全てはサリエリの独白だからね。
神父への告解という形を取ってるだけで、
実質サリエリの一人称インタビューなわけだ。

だからサリエリはポスターにいなくて、
「サリエリの見た世界」がポスターになってるわけ。

映画は三人称なのだから、
女に囲まれるモーツァルトを、端の方から睨んでいるサリエリで、
十分だったのではないだろうか。
それが黒騎士の格好をしてれば、
ブロードウェイ版との整合性も取れるだろうに。



イコンは大変難しい。
本質を表し切れているか?と、
目立ち、記憶に残るか?の、
二つのせめぎ合いがある。
色々議論した結果、
ブロードウェイ版のイラストを使ったのだろうなー。
だって魅力的で強い絵だものね。



(追記)
英語版はどうなんだろ?とググってみた。
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あー、ちゃんと内容と連動したポスターにちゃんとなってる。
一枚目はまさにサリエリ=黒マスクの男、
という物語の根幹である。(しかし地味だ)
2枚目は僕のイメージに近いが、
黒騎士の顔の位置にサリエリを配している。
しかしサリエリの顔が地味なので意図が分かりづらい。
そして3枚目は、
写真よりも絵にすることで、サリエリ地味を拭おうとしたが、
やはり拭いきれなかった例。
日本公開版がイラストを決断した理由もわかるわな。
サリエリ、あんた映えないんだよ…
めちゃくちゃ恨んだ顔をしてる表情、使えなかったのかなー。
あれがサリエリのイコンになるはずだが?
posted by おおおかとしひこ at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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