中盤を書くのが難しいのは、
障害物競走のように考えてしまっているからではないか。
中盤はたしかに障害を次々にクリアしていくパートである。
しかしその障害の質は、
慎重に選定されているべきだ。
あんなトラブルが起こっている、
それを解決する、なるほど、
こんどはこんなトラブルだ、
これを解決する。
…で?
次に3回目のトラブルが起こっても、
あんまり興味が持てないのではないかと思う。
なぜか。
「ランダムにトラブルが起こっている」
ように見えるからではないか。
じゃあトラブルAとBを関連付けて、
連鎖反応のように組めばいいのか。
それはひとつのテクニックだけど、
3回目のトラブルCにあんまり興味を持てないことは、
あまり関係がない。
トラブル、障害には必要な要素があると思う。
それは、
「テーマと反対の障害かどうか」
ということだ。
友情をテーマとしたい時に、
水道管が破裂するトラブルを解決しても、
テーマと関係ないわけ。
水のトラブル8000円、暮らし安心クラシアンになることと、
テーマが関係ないわけだ。
さらにそのあと家賃滞納が起こって、
それを解決してもつまらないわけ。
どんなにとんちを効かせたトラブル解決でも、
退屈はやってくる。
なぜか。
「友情と関係ないから」だ。
水道トラブルが、友情の本質と関係している時のみ、
これは「ストーリー上意味のある障害」になりえる。
たとえば(無茶振りだけど)、
このトラブルの乗り越え方で友情を示すとか、
もしトラブルが解決できない場合深刻なヒビが入るとかだ。
水道管が破裂したことで階下の友人に迷惑をかけ、
喧嘩になるとか、
家賃滞納のため彼にカネを借りて返さないとか、
友情絡みならば、テーマに関わってくるのである。
障害はつまり、テーマを揺さぶるようにつくらなければならない。
テーマが友情ならば、
その価値を問うようなアンチである必要がある。
たとえば、
彼女か友情かという二択は、
どっちが大事なんだよ、と迫る意味で、
的確な障害になる。
ベタ過ぎでつまらないのを避けるために、
別の障害を考えることになるだろうが。
そして障害というものは、どんどん激しくなってくる。
つまりそれは、深刻になるだけではなく、
より真の価値を揺さぶるようになるべきだ。
人生において裏切った方が得だろ、というものや、
誰も信じるべきではない、みたいなものなど、
激しくテーマの価値を揺さぶれないものは、
障害ではないと思うわけ。
障害はつまり、主人公に行動を強いる何かである。
それを乗り越える活躍をみんなは期待する。
ただそれが、
ハードル走のように、単にカッコよく飛び越えるものを持ってきても、
つまらないのである。
テーマと関係ないからだ。
むしろ障害とは、「全て」テーマに関係しなければならない。
(サブテーマでも良い)
そのレベルがどんどん上がっていって、
一番深いところに関わらない限り、
「本筋と外れた障害」にしかならないのだ。
中盤を書くのが下手な人は、
テーマと関係ない障害を持ってきてるのでは?
だから何個かの障害超えは描けても、
どんどん詰まらなくなるのでは?
どんどんテーマに肉薄した、
よりつらい障害を並べるのだ。
だから、必然性のあるストーリーを見ている気になる。
ランダムな障害物競走を見てるだけだったら、
ランダムなストーリーを見てるだけになる。
必然性のないものを見てる気分になる。
だからつまらなくなるのだ。
ゲームにおける、
1面は砂漠、2面はジャングル、3面は南極、4面は火山、
みたいに「気分の変わる逆境ステージを用意する」
だけでは、
映画の障害にはならない。
それが、テーマのアンチテーゼになっていて、
それを打破することがテーマを示すことになる、
ように作らなければならない。
そしてメインテーマに関係するのは最後の障害、
つまりクライマックスであるから、
いかに「本題に少しずつ近づいているぞ」
という障害物ルートをつくれるか、
が中盤の設計なのだ。
強さがテーマのバトルものならば、
雑魚→最初の歯ごたえのある敵→中ボス
→四天王→ラスボス、
などにするものだろう。
途中を心の弱さや友情強さなどの変形をもってきても、
途中に水道管トラブルは持ってこない。
いや、水道管トラブルを握力だけで解決した、なら、
強さというテーマのひとつの序盤エピソードにはなりそう。
その障害を超えることで、
何を示せるのか?
その逆算で、障害は考えられるべきではないだろうか。
2025年09月12日
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