リライトは何回もやるものである。
先日書いてた「最終章を先に描け!」は、
全部で13稿まで書いた。
で、そろそろリライトも終わりだなあ、
と思う兆候が出てきた時の話を。
二つあると思っていて、
一つ目は、
「前のやつに戻したいとき」だ。
良かれと思って書き直したのだが、
よくよく考えてみると、
前の稿(あるいはもっと前の稿)のものがよかった、
などと思い直し、前のに戻すことが増えて来ると、
自分の直しのピークは終わりつつある、
という自覚になってくる。
今回はもう一つのこと。
「言葉だけを直すことに終始して、
構造を直さないようになってきたとき」だ。
あるシーンの段取り、
シーンとシーンの順番、
切るシーン、新シーン、
設定の変更や展開の変更、
などなど、構造そのものをいじらなくなって、
セリフの言葉を変えたり、
ト書きの言葉を変えただけで、
「リライトした」と思うようになったら、
ほとんどリライトしていないということだ。
自分の気持ち的には、
「正確にこのことを表したい」と思って、
そうしているんだけど、
ほとんどの観客には、それはディテールに過ぎないと思われるだろう。
そもそもある気持ちがあって、
それを言葉に乗せているのがセリフだが、
セリフがその人の気持ちと多少ずれていても、
観客はその人の言いたいことが大体わかる。
普段我々は自分の言いたいこと100%を言っていないではないか。
だから、セリフの端々よりも、
その時どういう流れなのか、どういう気持ちなのか、
ということがつくられていたら、
セリフの多少の違いなどほとんど影響ない、
と、乱暴にいってもいいと思う。
それよりも、構造の変化のほうがストーリーに影響を与えて、
本質を変えてしまう可能性が高い。
もうそれが終わった段階である、
あるいは、もうこれ以上は思いつかない、
という状態である、
と自覚するには、
「セリフばっか直してて、構造を直していないなあ」
ということに気付くとよいだろう。
言いたいことを100%言うことだけがセリフではない。
何も言わないのがセリフになることもある。
間違ったことを言っていても、
真意は伝わることがある。
だから、セリフを一字一句いじっていることは、
もうリライトは終わっている、ということだ。
大きなところに目を向けよう。
枝葉末節を直しても、大きな所がよくなかったら、
脚本はおしまいだからね。
2025年09月22日
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