2025年09月22日

言葉を変えているだけで、構造を変えていないなら、その作品はすでに完成している

リライトは何回もやるものである。

先日書いてた「最終章を先に描け!」は、
全部で13稿まで書いた。
で、そろそろリライトも終わりだなあ、
と思う兆候が出てきた時の話を。


二つあると思っていて、
一つ目は、
「前のやつに戻したいとき」だ。

良かれと思って書き直したのだが、
よくよく考えてみると、
前の稿(あるいはもっと前の稿)のものがよかった、
などと思い直し、前のに戻すことが増えて来ると、
自分の直しのピークは終わりつつある、
という自覚になってくる。


今回はもう一つのこと。
「言葉だけを直すことに終始して、
構造を直さないようになってきたとき」だ。

あるシーンの段取り、
シーンとシーンの順番、
切るシーン、新シーン、
設定の変更や展開の変更、
などなど、構造そのものをいじらなくなって、
セリフの言葉を変えたり、
ト書きの言葉を変えただけで、
「リライトした」と思うようになったら、
ほとんどリライトしていないということだ。

自分の気持ち的には、
「正確にこのことを表したい」と思って、
そうしているんだけど、
ほとんどの観客には、それはディテールに過ぎないと思われるだろう。

そもそもある気持ちがあって、
それを言葉に乗せているのがセリフだが、
セリフがその人の気持ちと多少ずれていても、
観客はその人の言いたいことが大体わかる。
普段我々は自分の言いたいこと100%を言っていないではないか。

だから、セリフの端々よりも、
その時どういう流れなのか、どういう気持ちなのか、
ということがつくられていたら、
セリフの多少の違いなどほとんど影響ない、
と、乱暴にいってもいいと思う。


それよりも、構造の変化のほうがストーリーに影響を与えて、
本質を変えてしまう可能性が高い。
もうそれが終わった段階である、
あるいは、もうこれ以上は思いつかない、
という状態である、
と自覚するには、
「セリフばっか直してて、構造を直していないなあ」
ということに気付くとよいだろう。


言いたいことを100%言うことだけがセリフではない。
何も言わないのがセリフになることもある。
間違ったことを言っていても、
真意は伝わることがある。
だから、セリフを一字一句いじっていることは、
もうリライトは終わっている、ということだ。

大きなところに目を向けよう。
枝葉末節を直しても、大きな所がよくなかったら、
脚本はおしまいだからね。
posted by おおおかとしひこ at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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