2025年07月09日

川の中で揺れる草(「惑星ソラリス」評4)

ソラリスを検索すると、
大体みんなこの話をしてる。

噴飯ものである。
これトップカットでしょ?
そこから何を見たの?
寝てたんじゃね?


たしかに美しい絵ではある。
ややスローモーションで撮影されて、
美しく流れるさまが印象に残る。
おそらくPLフィルタを効かせたと思われる、
川面の僅かな反射もきれいだ。

だけどこれが、テーマを暗示してるとは言い難い。


スワンプマン
(沼地に雷が落ち、ものすごい偶然で原子配置が変わり、
人間と全く同じ物体ができたら、
それは人間と言えるか?という哲学的命題)
でしょ、主たる葛藤は。

それを揺れる水草では象徴できてない。


生命を象徴する水が、
とかいうけどさ、
淡水と海水は区別していいのでは?
雪は水に入れる?

死んだ妻が死んだら水にびちゃびちゃに濡れててもいいのでは?

地球に帰還(実は心象風景)したときの、
湖が凍っていた意味は?
主人公の凍った心(妻を失ったこと)の暗示?
でも父に再会できてるからびちゃびちゃでいいの?

象徴体系としては、
だいぶあやふやよね。

結局は、
タルコフスキーは編集が下手、
としか言いようがないのよね。


トップカットに何かしらの風景を映して、
テーマの象徴にすることは、
稀によくある。
だけど、このカットはそれに相応しくない。

水草のカットは天気がとてもいい。
にも関わらず、そのあとに出てくる主人公が池のほとりで佇む場所では、
霧が出て曇っている。
その齟齬もかなり気になる。
あの水草のカットはなんのためにあるの?
綺麗だから入れただけなんじゃね?
って思ってしまう。

つまり、タルコフスキーは編集が下手としか言えない。
例の首都高のシーンでみんな寝るらしいし。笑



昔からタルコフスキーが理解できなかった。
ノスタルジアは寝たし、
ストーカーも寝た。
どっちかを見てないかもしれない。
なのに、なぜか昔からタルコフスキーはいいと言われてて、
その理由を知りたい。

撮る絵がきれいだとそれだけで価値があった、
というのが正解の気がする。

たとえば第1部、地球での黒い馬はとても美しく、
シャシンとしてはとてもいいよ。
馬小屋の馬も不気味でよかった。
でも別になくてもお話は成立するでしょ。
現代の編集基準からしたら、
ノイズなので不要だ。
なんで撮る意味あったんだ?
(ロシア文化的に何か意味があるのなら教えて)


いまや、
大体綺麗な絵は撮れてしまうから、
綺麗なシャシンだけでは価値がない。

今タルコフスキーが生まれても、
編集がたるいから半分に切れ、1/3に切れ、
と言われておしまいだろう。

本気でタルコフスキーはいいぞという人がいたら、
是非解説をおねがいします。
たぶん、映画とは何か、という根本のところで、
相入れてない気がする。

ソ連の文化を知る手段がない状態で、
唯一映画や文学だけが知り得たこと、
という希少性があったのかしら。


少なくとも、「惑星ソラリス」は、うんこの出来でした。
妻役のスケ乳首見れたからヨシ、レベルでは?
posted by おおおかとしひこ at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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