楽しいは、ずっと楽しくないと楽しくない。
悲しいは、1個悲しいとずっと悲しい。
つまり、
喜劇の方が悲劇よりもずっと難しい。
悲劇は、
悲しいことが1個あると成立する。
それは人の心を傷つけ、
立ち直らせなくして、
二度と復活できないか、
立ち上がるまでの話になる。
もちろんたくさん悲しいことがあってもよいが、
中心になるのは、
たった一つの大きな悲しみではないか。
喜劇は、
たくさん楽しいことがなければならない。
受けた笑いが1個あればよいわけではなく、
いくつもの楽しさを連続させて、
ずっと楽しくなくてはならない。
昨日仕事をした女優さんに、
「監督はずっと(撮影中)笑ってた」
と評されて、
たぶんいいコメディができたんだなと感じた。
滑ろうが滑らなかろうがかまわぬ。
楽しさとは、
ディズニーランドのようでなければならない。
そして人は同じ楽しさでは飽きてしまうので、
楽しさとは、
別々の楽しいことがたくさんやって来ることだ。
つまり、楽しさとは、
楽しさのバラエティのことかもしれない。
アホから知性まで、
右から左まで、
低温から高温まで、
ホワイトからブラックまで。
喜劇を書きたければ、
たくさんの楽しさを用意することだ。
悲しみがあったとしても、
それ以上のたくさんの楽しさがあるべきだ。
そして悲しみは、その楽しさのスパイスにすらなる。
悲劇を書きたければ、
多少の楽しさでは覆らない、
たった一つの悲しみをつくることだ。
恋はどっちだろう。楽しさか、悲しさか。
人生はどっちだろう。楽しさか、悲しさか。
ギリシャ時代以来、
人類は2つの形の物語をつくり、
享受してきた。
喜劇か悲劇だ。
どっちを書いても良い。
どっちつかずになるべきではない。
2025年08月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

