城戸賞の選考基準の引用(https://www.kinejun.com/article/view/5180
の総評以下の富山さんの文)を見てると、
第一にあげられているのが、
「オリジナル企画提案者としてのプロデューサー視点」
なんだよね。
プロデューサー視点ってどういうこと、
脚本の話でしょ?
このことを深掘りしてみるか。
逆に、
プロデューサー視点のないものを考えればわかる。
俺だけが分かってればいいオナニー、
芸術志向がありすぎてみんながついていけないもの、
人間や社会の真実を暴いたのだというけれど、
よくわかんないもの、
などである。
一本だけあげるなら、「去年、マリエンバートで」を見ると良い。
これが最高傑作であると思うならやめなはれ。
ざっくりいうと自主映画にたくさんこういうのがあるので、
そうしたオナニーを見に行くと良い。
僕は学生時代に自主映画界(京都)にいたが、
この内輪感がいやで東京に出てプロの世界に入った。
そしたら、
プロなのに案外こうした人たちがいることに、
結構悩んではいる。
さて、
プロデューサー視点とはなんだろう?
それを考えるには、
「プロデューサーは脚本を読めない」
ことを前提とするといいと思う。
いや、プロデューサーに失礼だろ、
とは思うけれど、
これを前提とすると話がわかりやすくなるんだよ。
我々は脚本という、
あまりに複雑怪奇で、作るのが難しいものにチャレンジしている。
物語の複雑妙味さ、
真実を見せるかと思いきや霧の彼方にいってしまうものを、
日々捉えようとして戦っているし、
そのわからなさっぷりに魅力を感じてもいる。
その難しさ、おもしろさを、
「脚本を書く人以外はわからない」と仮定した方がいいんじゃないか?
ってことなんだよ。
僕らの苦労を、彼らが100%読み取れないと仮定する。
だってそうだよ、
脚本の深奥は、書いたことのあるやつしかわからないよ。
書いたこともないくせに分かったふうなこと言うなよ、
って思えるほどには、
脚本ってのは難しいんだ。
いや、小説の編集は、もっと小説が読めてるかもしれないよ?
だけど、
こと脚本に関しては、形式が独特のため、
経験者しか読めない暗号になってる、
とさえいえると思うね。
だから、
小説や漫画の編集ほどには、
プロデューサーは脚本を読めてないんじゃないか?
ってのをまず前提にした方が、
誤解がないかもしれないんだよね。
プロデューサーの仕事はなんだろう?
金を集めること、最後まで作って小屋にかけること、
小屋から資金を回収して利益を分配することだ。
基本的には、用意した以上の金を儲けて、
差額で生きていく人たちのことをいうわけ。
となると、
彼らの目的は、差額をプラスにすることである。
その事業計画書として脚本を見るわけだ。
「それは儲かるのか?」
「それはヒットするのか?」
「それは流行るのか?」
「それは儲け期間が長く続くのか?」
が、彼らの質問であり、関心事なわけ。
もちろん、素人の投資家ではない。
ある程度脚本は読める。
だからプロなのだ。
だけど、
脚本家が気にしている、
感情移入やターニングポイントや、
テーマやカタルシスなどを、
脚本家ほど大事にしてない可能性がある。
彼らは彼らの目的のために、
「この脚本は使えるか?」を見ているわけだ。
どんなに感動して号泣するホンだとしても、
実は彼らには関係ないかもしれない。
たった1人の人の人生に影響を与える、
傑作ストーリーであるよりも、
1億人がそこそこ金を出すほうが、
彼らにとって都合がいいわけだ。
映画の木戸銭は決まっている。
×人数が売上になる。
人数が正義なんよ。
これはキャバクラとは違うビジネスだ。
キャバクラは1人の太客が、
無限に金を出せば儲かるわけ。
太客を何人か捕まえれば安泰なわけ。
仕事の営業もそうかもしれない。
太客を何人持ってるかが、営業の手腕かもね。
ところが映画はそうではない。
太客が心底気に入り、無限に金を出す形式ではない。
(グッズやリピーターなどもあるけど、
100回同じ映画は見るまい。
太客は100人の客よりも払うよな)
だから、深さよりも、広さのビジネスだといえる。
マスコミュニケーションとは、
そういうことだ。
深さ浅さはそれぞれの中にあるとして、
「まず広さ」なのだ。
つまり、
「プロデューサー視点」とは、
とても簡単なことだ。
「これをなるべく広くの人が見たいと思うか?」
ということなのだ。
もちろん、広さにも色々あるよ。
老若男女が等しく欲しいと思えるものがあるか、
といわれると、これだけセグメント化された消費者層に、
全部届くのがあるのかなー、という疑問はある。
だから、
○○層をターゲットにしましょう、
というのはよくある。
じゃあ、その層は何人いて、
そのうち何人が見そうか?
が、彼が次に考えるべきことだ。
どこまでいっても、
「何人が見るか?」だけが、
プロデューサーの関心事といえるのではないか?
少ない観客と読む場合は、
それが悪とは限らない。
それが深い感動を示して、
刺さる場合もある。
それがそのうち広がっていくパターンもある。
広さだけが正義でもない。
広いがよくあるパターンすぎて、
飽きられてるから掠りもしない、
なんてこともある。
少ないからダメ、広いから良い、ではないが、
少ないから良い、広いからダメ、でもない。
観客を何人呼ぶか?だけが問題なわけだ。
つまり、プロデューサー視点とは、
最終観客予想人数のこと、といってもよい。
もちろん、興行は水ものであり、
予告やキャンペーンのやり方で、
客入りが全然変わってくることもある。
ほかのライバルがいなかったことでヒットしたり、
期待されてもライバルに流れたからヒットを逃す、
ということもある。
それらを込み込みで、
プロデューサーはホンを見るということだ。
人気原作の映画化や、
人気芸能人の起用で、
その博打に保証をつけたい気持ちはよくわかる。
オリジナル企画は、
なんの保証もない。
脚本だけがその保証書だ。
つまり、
「オリジナル企画提案者としてのプロデューサー視点」
とは、
「あなたはこの脚本に、
どんな観客人数保証書があると思う?」
という問いなわけ。
たとえばいくつかのジンクスがある。
水物は当たらない、というやつ。
これを「海猿」が崩したのは有名な話。
これはたまたまだったのかもだが、
それを脚本時点で「あたるぞ」と言えてるか?
ということさ。
ネガティブに見れば、
いくらでも企画書にケチはつけられる。
3億用意して10億稼ぐ仕事である。
その+7を、脚本の中に見出したいと、
プロデューサーは常に願っているわけだ。
もちろん、プロデューサーは、
映画の素人の銀行家とは違い、
映画が大好きで、映画がつくりたくて、
この職業をやっている。
そんな人が、この脚本を読んで、
+7億取れるだけの人を呼べるものだ、
と思えれば良いということだ。
あなたがプロデューサーだとしよう。
「このホンいいと思うよ」と、
別のプロデューサーに推薦して、
2人で1.5億ずつ集めて、3.5億ずつ儲けよう、
と言ったとする。
「なんで?」と、そのプロデューサーが聞いた時に、
あなたはなんと答えるか?
そのプロデューサーはホンが読めない。
だからあなたはホンにある、
+7の確信を伝えなければならない。
そうでなければ彼は乗ってこない。
その視点があるか?
ということだと思う。
半径2mの人間関係とか、
疎外された自分とかが、
そんなに稼ぐわけないことは明白だ。
エンターテイメントショウを、
みんな見に来るのである。
あなたは、しみったれた日本映画の、
世界の隅っこで起きてるじめじめした映画を見に行くかい?
そんなわけないよね?
もっとワクワクしたり、バーンってなったり、
キラキラしたり、なんかフツフツと湧いてくるものを、
見たいんじゃないのかい?
そのコンセプトを聞けば「おもしろそう」
と耳を傾けたくなる何かを、求めているんじゃないのかい?
ざっくりいえば、
客観的になれってことだ。
あなたの作品は、万人に拍手喝采で受け入れられなければならない。
その根拠は?
2025年08月07日
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