2025年08月12日

ドサ廻りを馬鹿にしている(「国宝」評2)

なんか、中央歌舞伎>地方演芸の、
格差がありすぎてさ。
リアルなのかもしれないけれど、
地方には地方のいいところがあるでしょ。

以下ネタバレ。


僕は別に地方だからってあまり地方をバカにはしていない。
文化に疎いなーとは思うけれど、
その土地にはその土地なりの文化があり、
それが中央に劣ってると思ったことはない。

だけど、
この話における左遷というか、
ドサ廻りで苦労する感じが、
なんか地方を下に見てる感じが強くてね。

ほんとに地方歌舞伎や演芸を取材したのか、
という描き方になってて気になるね。

女形に惚れるのは、
別に地方だけじゃないでしょ。
中央では、ガードマンに守られてるだけだよ。
その程度の覚悟で女形やってるわけないと思うけどなー。


二人とも、逃げて地方落ちして、
また返り咲くという運命である。
でもなんか地方落ちみたいな感じがして、
気に食わない。
どちらかは、地方でむしろ有名になり、
もはや中央に戻る意味がない、
みたいになってた方が、
話が面白くなるのでは?

落ちて戻るをやりたいがための構造に見えて、
その構造に偏見というか先入観が透けて見える。
それが中央の関東弁で語られればまあクソ東京、
というだけで止めるが、
わざと関西弁、しかも下手くそな関西弁で撮られているのが、
お前地方舐めてるやろ、
と怒りに変わってしまう。

それどころか、きちんと理解してないやろ、
と憐れみすら出てきてしまう。


そうまでして何がしたかったんや、
とラストまで見守ると、
きれいやなあ、ちゃうやろ。

籠の中の鳥の話かよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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