2025年09月05日

人は線のストーリーではなく、点の感情を覚えている

という仮説を、実にうまく描けているギャグ漫画。
https://mamekichimameko.blog.jp/archives/90644521.html

(もちろんギャグ漫画として整理されているため、
本当にこうかはわからない。
だけど典型になるまで練られた形であることはたしか)


アカザや縁壱なんて名前もあやふや。
なんか可哀想なんだよという感情。
サウザーのあたりの、
しかしストーリー覚えてないという感じ。
でも似てる感情だとは理解している。

強力なキャラしかイコンにならず、
そのキャラと感情だけが、
一体化している。
せいぜい「おいたわしや兄上……」
しか残っていないというね。

でもポーズは再現できるという。
まさにイコンである。(名台詞つき)


かように、
人の記憶は断片なのだ。

じゃあ原作でもアニメでもいいから、
まめこ以上にストーリーを説明してみ。
できるのはおそらく脚本家だけだろう。

プロットをきちんと説明できて、
「可哀想」という言葉を使わずに、
アカザや縁壱は可哀想、
という気持ちを思わせれば成功。

そして、
人の記憶はそのようにできていない。


「漫画はキャラが重要」と巷では言われるが、
実はこれ、
人の記憶が点でしかないから、
編集者もストーリーの重要性を認識できてない可能性を、
僕は疑っている。

そして、
キャラ=感情という短絡が起こっている。

好き、嫌い、すごい、可哀想、
などと一度定着したキャラへの感情は、
先入観、偏見となりやすく、
容易に覆らないことを示している。

書き込まれたコメントを見ると、
> 黒死牟はかわいそくないだろぉぉぉぉ!!!
> 「かわいそうなやつ」って下に見てたから優しくできてた弟が実は天才で、それを受け入れられなくて勝手に弟に劣等感感じて勝手に闇落ちして勝手に拗らせまくって、鬼殺隊のくせに鬼に成り下がったやつ。嫌い!!!
> 玄弥とむいむいを殺した。嫌い!!!
> 猗窩座は好き。

結局、好きか嫌いかに二分して、
観客の世界に分類されているだけなわけだ。
こわいね。



映画的物語のキモは「変化」だけど、
これを原理的に捉えづらいわけだ。

不倫した芸能人が立ち直れないのは、
ここよね。
どのように変化したとしても、
「どうせ○○でしょ」って思われておしまい。
この短絡が人にはあることは、
覚えておくといいだろう。



ストーリー、原因と結果の因果関係、
動機と行動と結果、
相容れない目的の齟齬(コンフリクト)、
結果としてのテーマの暗示、
キャラクターの変化、
などを、
人は「理解できるが記憶出来ない」
という仮説だ。
その十分すぎる証拠だね。

理解できてなきゃ、
ここまで強い感情をもてないよね。
明らかにストーリーは完全理解している。


人は自分の理解をなかなか言語化出来ない、
という議論は別にあるものの、
「多くの観客はこのように記憶する」
と思った方が良い。

それを、
ストーリーの要素単位に分解して、
なぜこのような感情になったのか、
をやってるのは、
脚本家たち、監督、役者だけだろうなあ。
(やってるプロデューサーもいるが、
たいていは問題が起きた時にはじめて分析する、
でしかないと思う)


あなたは一般観客のようになるべきではない。
アカザはなんで可哀想なんだっけ、
を説明できるべきだ。
縁壱はなぜおいたわしやなのか、
説明できるべきだ。

その説明を、プロットと呼ぶ。
posted by おおおかとしひこ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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