2025年09月12日

ナショナリズム論法

とでも名付けようか。
研究への投資の理由にナショナリズムを持ち込むと、
無駄と思える研究に金を出すことへの理由になる、
という逆説。おもしろい。
https://x.com/mimi2345_1/status/1964006849692229881


投資家への個人バックモデルでは、
成功しそうなものへの投資しか発生せず、
小さな成功を確実に分け合おう、にしかならず、
抜本的な革命、イノベーションはおきない。
だから、国全体のためにここは捨てることになるかもしれないが、
となれば、「俺もお前もみんなのためにも」が成立して、
無駄だけどいつか化けるものへの投資が生まれる説。

なるほど、
おもしろい映画のために投資しましょうよ。
あなたや私が儲かるためではなく、
こういうのが日本に必要だからつくるんです、
というやり方はあるかもしれない。
小さく儲けるつまらん企画じゃつまらんでしょ?と。

思えばテレビの全盛期(70年代〜90年代あたり)は、
こんなにいいものが世の中にあるぜ、啓蒙だ、
というものがたくさん溢れていた。
日本全体を文化的に豊かにしようという意図があった。

金曜ロードショーから日曜洋画劇場の3夜コンボも、
解説の人たちが、いかにすばらしい映画であるかを力説していた。
それは、啓蒙であったのだ。

視聴率戦争(90年代末)あたりから、
スポンサーを儲けさせる、という個人商売になり、
おもしろさの質が落ちていった。

啓蒙がなくなってから、
マーケティングとか言い出して、
客の需要を供給で満たすことだけになっていった。

だから、あたらしい、抜本的な、革命的な発明が、
失われた20年を産んだのかもね。


キーボードの発明に最近僕がずっとハマってるのも、
国民のために必要な日本語入力が、
儲からないからといってどのメーカーもやってないからだな。
僕はすでにある需要を掘ってなくて、
日本語のために必要だからやってると思う。


日本国民を元気にしたいから、
こんなエンターテイメントをつくってるんです、
日本国民をおもしろがらせたいから、つくってるんです。
そういう映画がなくなったから、
「国宝」がその席にすわって、
ヒットしたんじゃないかな。

作品的には微妙だと思うけど、
そういう態度でつくってる映画、
昨今なかったものね。

鬼滅もナショナリズムっちゃあそうだ。

そもそもマスコミュニケーションのマスは、
国民だったね。
グローバルとかいって、
そのへんが曖昧になり、
地球を幸せにするほど偉大なものって、
問題が複雑すぎてわからんになってしまってる。

受ける層に狙いを定めるのではなく、
国民全体を狙うべきなんよな。
それには、ナショナリズムは使える道具になるかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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