最近の僕のキーボードは、
負荷がどんどん減っていっている。
まあ狙い通りなんだけど、
沢山書いたとしても「書いた気がしない」あたりまで、
そろそろいってんなー、
なんて思ってしまった。
人間というのは贅沢だ。
労力をどんどん減らしていったら、
「やった気がしない」と文句をいうのだなー。
qwertyローマ字がある程度人気があるのは、
実はその負荷の高さだ。
指を高速で無茶な運動をさせないと速くならないという、
無茶振り仕様に対して、
ある程度答えられたら速くなったねといわれる、
ドM配列だと思う。
なりよりッターンが象徴するように、
ある程度まで行ったらドヤ顔でこれをやるように出来ている。
一文書けました、ッターン。
二文書けました、ッターン。
こんなので文章なんて進むわけがない。
文章とは淀みなく流れる流れであり、
それを捉えなければ落ちる波乗りのようなものだ。
流れに身を任せ、負荷なくどんどん書いていかなければならない。
にも関わらず、
このガチャガチャをやると、
やった気になるのだ。
大変だからね。
「負けたけど練習を沢山したから良かった」
みたいな感想になるわけ。
やったかどうかではなく、
やった感が欲しいだけなのだ。
薙刀式で運動負荷を極限まで減らしてるし、
あまりにも抵抗がないキーボードなので、
やった感が欲しくなっている。
人間にはそんな領域もあるのか、
と少し驚いている。
クラッキーやタクタイル派の言い分に近いのか。
柔らかい肉よりも、
ある程度硬くて食べ応えがないと、
食った気がしない感じだろうな。
1回前のキーキャップに戻してみる。
背が高く、親指45度タイプのやつに。
確かな手応えがあり、
反力かあり、
確実に書いた感覚が得られて心地よい。
でもこれで2時間書くのはそこそこかかる。
今のオール水平最低高さのコンベックスに戻したのは、
「そういえばアレは疲れなかったなー」という記憶があったからだ。
でも水平コンベックス、味がしない感じなんよ。
手応えはちょっとは欲しい。
しかし疲れるのは嫌。
人間は贅沢だ。
どうすればいいかわからんので、
明日は左右別々のキーキャップ装着で持っていきます。
その場で変えられるようにキーキャップセットごと。
時間あったら触ってみてください。
2025年09月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

