別にqwertyを使い続けてもいい。
109キーボードを使い続けてもいい。
でもそれは、100年間自然淘汰を受けてない、
「変えようとしたら『変えられるのは困る』と反発を受けて、
今の今までズルズルと来てしまった」、
時代の批評を受けていない仕組みである。
昔は変える方法がなかった。
今は自由に変えられる。
だから、変えたい人は自由に変えていい。
なぜ昔は変える手段がなかったかというと、
メーカーから出ていた規格品だからだ。
各メーカーごとにバラバラのものが出ると混乱するから、
JIS規格準拠にした。
たとえばネジの幅がバラバラだったら、
工業製品は大混乱になるだろう。
そのため、
キーボードの大きさ、並び方、
どのキーを押したらどの文字が出るかを、
JISで定めてある。
ただこのJIS、
あらゆる「文字の打ち方」を偉い人が検討した上で、
これがベストであると決めたものではない。
沢山の欠陥が既に指摘されていた、
英語タイプライターをもとに決めたものにすぎない。
決定理由は、
これが文字を打つのに最適だからではなく、
「すでにあるものを変えたら抵抗が生まれるから」
にすぎない。
いいものの継承をするにはこの考え方は便利だが、
よろしくないものを継承すると、
この後全部ダメになる。
似たものに、「電流の向き」がある。
プラスからマイナスに流れると昔決めたあとに、
実は電流の正体の電子は、
マイナスからプラスに移動していることがわかった。
この時点で「やっぱ電気はマイナスからプラスに流れます!」
と決め直すか、
「電子のある方をプラスということにします!」
と決め直すべきだったけど、
人類はそれを断行しなかった。
だから電磁気学や電気工事は、
いまだにややこしく、手の出にくいものになっていると僕は思う。
ただでさえ素数出てくるしな。
すでにある資産を否定すると反発が大きい。
それは人類の宿痾であろう。
とくに反発の大きいものは言語だろうか。
言葉狩りをやりすぎてみんな嫌気がさしてると思うね。
韓国なんかは思い切って漢字を捨てて、
表音文字のハングルに切り替えた。
かなりの独裁主義でなければ、
この断行を行えなかったのだと思う。
さて、メーカーと規格によって、
実質独裁独占で、キーボードは今もこうだ。
いや、どこかの独占ではない。
僕は神輿やこっくりさんだと思っていて、
「みんながこの手を離すなよ」ってなってる、
約束ごとに過ぎないと考えている。
こういうのはコンツェルン?カルテル?
経済学に明るくないので誰か解説して。
それを破ったメーカーもいた。
エルゴノミクスキーボードと銘打ったり、
非qwertyキーボードを作ったりして、
この状況を変えようとした、志のあるメーカーはいた。
だけど、
「変えるのはちょっと……」という多数派に流されていった。
あるいは最初に飛びついた人々への、
継続的サポートをしなかった。
そのキーボードはいつか壊れるし、
噂を聞いた人が買い求めようと思っても、
すでに終売しているパターンばかりだった。
(僕はμトロンキーボードを買い損ねた)
せっかく狼煙があがっても、
それは単発だったので、
すべての野心的キーボードが壊れたとき、
継続的供給ができなくなり、
それはムーブメントにはならなかった。
21世紀はそうではない。
個人でキーボードをつくることができるようになった。
自作キーボードの流れである。
キーの配置、数、
何を押したら何が出るのかを、
自分で設計できる。
設計できなくとも、
他人の作ったキットを組み立てればそれを使うことができる。
これにより、
キーボードがメーカーに縛られていた時代から、
民主化、自由化したのである。
野心的キーボードの欠点、
継続的サポートは、
データのオープンソース化によって、
それをDLして基板工場に発注しさえばよい、
ガワは3Dプリントで作れば良い、
という民主化が行われた。
メーカーたちが工場のラインを抑え、
継続的に投資しなくてもよくなったのだ。
キーの配置には著作権は発生しないと考えられるので、
自由に真似してよいわけだしね。
(営利商業だと法的にどうなんだろう。
まだ同人レベルだから野放しなのかもだが。
実際、Claw44、Corne、Grinのような、
日本人が個人で開発したものの商業クローンは存在する。
当事者同士で話し合ってればいいんだけど、
ちょっとモニョる)
それに先立つ話をする。
ソフトウェアオンリーの話だ。
物理キーボードは既製品だが、
何を押したらどの文字が出るのかのプログラムを走らせて、
文字の位置だけ変えた例がある。
これをプログラムでやるという意味で論理配列と呼ぶ。
(キーボードを自由に作り変えるのは物理配列)
論理配列は、自作キーボード以前から、
民間によって研究されてきた。
ヒートマップ、連接考慮、同時打鍵、
左右交互打鍵、アルペジオ打鍵などは、
民間の人々、個人によって提案され、
インターネットを通じて広まっていった。
そして実際に、
自作論理配列を作る人々があらわれた。
自作配列をつくるための、
汎用プログラム(エミュレーターとよぶ)もあらわれた。
たとえば薙刀式は、エミュレーターDvorakJ上で動く、
僕の作った自作論理配列だ。
プログラムを1個常駐で走らせれば、
そのキーボードが○○配列になる。
自作キーボードに先駆けて、
これらは新配列と呼ばれる運動を形成する。
今現在、
新配列は、伝統的にエミュレーターで動かす派と、
自作キーボードにも進出した派にわかれている。
盛んに交流する人もいれば、
そうでもない人もいる。
自作キーボードでqwertyに疑問を持ち始め、
既存の新配列を検索したり、
自作論理配列を作る人もいる。
キーボードは、21世紀に、
民主化、自由化された。
メーカーの硬直した、
「誰も手を離すタイミングがわからない」
状況が、少しずつ崩れている気がする。
いつか人類は、
「電流の向き、逆でした」と非を認め、
逆だと書き換えられる日が来るだろうか?
世界中の全ての本やデータを、
「逆でした」とできる日が来るだろうか?
キーボードは、それより早く、
qwertyは日本語を打つのに向いてないのに、
ずっと採用してました、すいませんと、
謝れる日が来るのではないだろうか。
もうメーカーの硬直に付き合う必要はない。
エミュレータひとつ走らせれば良いし、
はんだ付けとプログラミングや、3Dプリントをやればよい。
幸い、先人がたくさん解を示している。
その通り使っても良いし、
自分の都合にあわせて改変しても良い。
自由とはそういうことだ。
このキーボードの自由に参加するには簡単だ。
「一つしかないのではなく、
自由なやり方がある」と、
頭を柔らかくすることだけだ。
最適な配列はまだない。
ただ、あなたにとっての最適はありそう。
2025年10月17日
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