人が二人以上集まれば、必ずもめる。
もめなくても対立点がある。
我慢できるはできるが、気に食わない、いまいち納得いかない、
むかつく、許せない、殺す、
など、いろいろと温度差はあるだろう。
その、争う理由を探せれば、物語になるのだ。
現実では、争わない場合もある。
腹に我慢したままためて、とくに争わずやっていくような、
腹芸を見せるのが大人というものだ。
だけどそれじゃあ物語にならないので、
より争いを激化させればよいのだ。
なんとなくムカつく、気にいらない、
という状態から初めて、
どうにも許せない、というところまで亀裂を広げればよい。
そうしたら、相手を排除するか、こちらが排除されるかだ、
というところになる。
それが、物語の種=コンフリクトである。
コンフリクトは葛藤ではなく、
対立と訳したほうがわかりやすく脚本を考えられる、
というのはこのブログではもはや常識だけど、
要は人は争うのだ。
何かをめぐって争う場合もあるし、
ある考え方を正しいと思うか間違っていると思うかで対立する場合もあるし、
恨みつらみで対立する場合もある。
利害や感情や過去の何かや、
色々な理由で、人は争うのだ。
そして、それの始まりから、もつれる途中から、
最後に和解ないし決定的な亀裂にいたるまでが、
物語である、ということだ。
何で争うのだ?
争いの種はなんだ?
争わず、仲良くできなかった理由はなんだ?
別に、あなたの話をしているのではない。
あなたとはまったく別世界の、別人の話である。
身の回りに争いのモデルがあるかもしれないが、
これは架空の、おもしろい話なのだから、
現実にありそうな亀裂が、どんどん広がって、
おもしろい方向に転がっていくのだ。
そういう風に話を転がせる人、
転がせるように設定を作れる人が、
物語を書いている人、ということだ。
要は争いのネタ探しである。
なぜその人たちは仲よくせずに、
争うのか。対立するのか。殴り合うまで行くのか。
なぜ仲よくできなかったのか。
なぜむかついたのか。
なぜイラッときたのか。
なぜ我慢できなかったのか。
それを創作するのである。
そこがリアリティがあるほうがいい、
というのが昨今の流行りかもしれない。
正義と悪というわかりやすいものでなくてもよい。
今の世相を反映した、何かでもよい。
そのことで、何かおもしろい対立を描くのだ。
対立がなければ沸騰がない。
沸騰があるから危険でおもしろくなる。
危険はショーである。
よくある対立でもいいし、
変わった対立でもいい。
主な対立(=メインコンフリクト)を創作するために、
争う理由を種にして、
それを成長させ、
取り返しのつかないところへ行けば良い。
2025年12月21日
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