省略の技法。
僕はこれをはじめて料理番組で見たときは衝撃だったなあ。
これってさ、連続性がなくなるんだよね。
今まで材料を切ったり用意したりしていた鍋と、
その2時間煮込んだ鍋は同一性が違うよね。
今までつくってた鍋は捨てられちゃうのかな、
とかものすごく心配したものだ。
まあ、料理をたくさん作る人は、
たくさん作るから、第一の鍋は捨てられることなく、
2時間煮込まれて、第二の鍋として誰かが食べるだろう、
のような、裏の事情を想像して、
ようやく、
「ここにその2時間煮込んだ鍋があります」を、
納得するしかなかった。
さて。
つまり、映像において、
この文法を使うことができる。
同一性、連続性は、
「2時間後」というタイトルを出せば、
それで担保できるのだ。
あれは生放送というていだから、
連続性に疑問がつくのであって、
編集された映画の世界ならば、
「2時間煮込んだ部分は省略されている」
ということを人は理解できるのだ。
とくに何も起こらないならば、
省略しても人は文句をいわない。
同一性もあり、連続性もあるという約束で見てくれる。
すなわち逆に、
あなたは「何か起こるものだけを編集して見せる」
ことを要求されているということだ。
人生では沢山のことが起こらない。
物語では起こる。
これは、物語においては、
「何も残らない時間」が省略されているということになるわけ。
2時間煮込むときは、途中でこぼして台無しになるとか、
イベントが発生しないから、省略されているわけだ。
さらに、
それ以上も省略できる。
「出会った二人」の場面を描いておいて、
「3年後」として結婚式の場面につなげることもできるよね。
「3年後」として分かれる場面を描くこともできる。
途中で何が起こったかを省略できる。
もし、そのことが重要でなければ。
つまり、
省略する、しないは、
全体にとって重要か重要じゃないかがポイントになってくるわけだ。
「煮込み料理入門」というのが全体ならば、
「2時間煮込む」ときに重要なこと、
たとえば吹きこぼしが起きたときにどうするかとか、
途中で弱火が消えているかのチェックとか、
アク取りはどれくらいの頻度でやるべきかとか、
そういうことも必要になるだろう。
何も起こらないということはない。
(というか、僕が自炊を始めたころ、そういう知識がほしかった)
全体の文脈で、
必要なことといらないことが決まる。
あったほうが面白ければあったほうがよい、
という判断もある。
だけど、いかに面白くても、
全体にとって必ずしも必要じゃない、という判断ならば、
省略してもよいのだ。
さらに。
「切ったことでとてもよくなる」
という、省略が良い影響を与える場合もある。
サモトラケのニケは、頭と腕がないのがよい、
という説がある。
あれがないことで想像するので、
もしあったとしたら、
今のない状態よりも平凡に見えるのではないか、ということだ。
それはそれでわかるよね。
「ニューシネマパラダイス」の、
「窓の下でずっと待っていたのに、
いざその日になったら逃げてしまった」というエピソードは、
まだ僕は覚えていて、
その理由を時々考えることがある。
そうした、ずっと続く断片があってもよいと思う。
それをわざとつくることはかなり難しいけどね。
(単に、できてないだけやんけ、と言われそうだ)
全部終わったあとから始めることだってできる。
タイタニックはそうだよね。
重要な場面を描かないこともできる。
そうして省略して、
もっと大事なことにエネルギーを使おうという作戦だってありえる。
それを省略してしまったら、
よくないものになるぎりぎりを見極めるのは、
一度やってみるといいかもしれない。
たとえば、○○というキャラクターをなくしてみるのはありか?
○○というシーンをなくしてしまうのはありか?
〇〇というシークエンスを、まるごとなくすのはありか?
始める前で終わるとか、
終わったあとから描く方法はあるか?
「ここに2時間煮込んだものがあります」から、
無限のバリエーションを作りえる。
省略技法を使うとき、
常に参考にできる方法論だね。
2025年12月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

