全能感はよい。麻薬のようだ。
物語でもたいてい全能感を満たすシーンがやってくる。
だけど、たいていそのあとは反動もやってくる。
全能感はいわば人生のピークだ。
やることやることうまく行き、
能力を全開する喜びがあり、
周りは感謝し、すごいと称賛するだろう。
だけど、人生はピークだけではない。
つらいときや調子が悪い時もある。
人生、長いこと生きてれば生きてるほど、
全能感を満たす時期は短いことを知っている。
全能感を発揮したあとは、
必ず運命の反動がある。
調子に乗りやがって、と復讐されたり、
調子の歯車が壊れたら、
皆が「たいしたことなかったぜ」と失望したり、
昔はよかったんだけどねえ、と腫れ物に触るようになってしまったりだ。
全能感を失ったアイドルや芸能人を見れば、
大体のサンプルはイメージできるだろう。
実際の人生はもっと転落することだって全然ある。
僕の尊敬する先輩の監督がいるんだけど、
10個くらい上かしら。
僕が会社に入ったのと入れ替わりに弊社をやめたので、
面識自体はない。
ずっと業界で聞かないんだよね。
15年くらい前都内でロケしていたら、
偶然その監督が遊びにきて、
家が近かったので、とプロデューサーと知り合いだったそうだ。
最近聞いたら、タクシーの運転手をしているらしい。
あの大監督が、タクシーの運転手しか仕事がないわけがないと思うんだけど、
人生は全盛期を過ぎるとそんなものなのだよね。
子どもだから、若いから全能感があるとも限らない。
人生の全盛期はいつでも来うる。
それが起こりつつあるのを描くのが物語という高揚だと思う。
だけど、
それが終わったあとのことも描くべきだと思う。
そして、その全能感が二度と来ないんじゃなくて、
もう一回人為的にそれを起こすのが、
物語の後半になってくるんじゃないだろうか。
つまり、偶然の全盛期じゃなくて、
自分で起こす全盛期みたいなことだ。
それがうまく行けば、
クライマックスは生まれ変わりのカタルシスになると思うな。
クライマックスでじゃーん、というすごい音楽が鳴る理由は、
盛り上がるから、ではない。
人生の全盛期を取り戻せたから、
全能感をもう一度やるから、
盛り上がるわけだね。
そしてそのテーマ性がここで決定するからこそ、
必死で何かをするのだ。
ある力を得る。
それを試す。
全能感を得る。
ここまでは誰でも書ける。
それを使って失敗する、失脚する、
全能感を失う、
それからもう一度再起する、
味方を増やし、大逆転する、
そういうところまで書ける人は少ないだろう。
人生とはどのようなものか、
知っていないとリアリティがないからだ。
だが、多くのハッピーエンド作品は、
これに挑戦している。
全能感を得られるラストに、
突っ走るような計算をするべきだと思う。
2025年12月30日
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