2025年12月30日

全能感

全能感はよい。麻薬のようだ。
物語でもたいてい全能感を満たすシーンがやってくる。

だけど、たいていそのあとは反動もやってくる。


全能感はいわば人生のピークだ。
やることやることうまく行き、
能力を全開する喜びがあり、
周りは感謝し、すごいと称賛するだろう。

だけど、人生はピークだけではない。
つらいときや調子が悪い時もある。
人生、長いこと生きてれば生きてるほど、
全能感を満たす時期は短いことを知っている。

全能感を発揮したあとは、
必ず運命の反動がある。
調子に乗りやがって、と復讐されたり、
調子の歯車が壊れたら、
皆が「たいしたことなかったぜ」と失望したり、
昔はよかったんだけどねえ、と腫れ物に触るようになってしまったりだ。

全能感を失ったアイドルや芸能人を見れば、
大体のサンプルはイメージできるだろう。
実際の人生はもっと転落することだって全然ある。

僕の尊敬する先輩の監督がいるんだけど、
10個くらい上かしら。
僕が会社に入ったのと入れ替わりに弊社をやめたので、
面識自体はない。
ずっと業界で聞かないんだよね。
15年くらい前都内でロケしていたら、
偶然その監督が遊びにきて、
家が近かったので、とプロデューサーと知り合いだったそうだ。

最近聞いたら、タクシーの運転手をしているらしい。
あの大監督が、タクシーの運転手しか仕事がないわけがないと思うんだけど、
人生は全盛期を過ぎるとそんなものなのだよね。


子どもだから、若いから全能感があるとも限らない。
人生の全盛期はいつでも来うる。

それが起こりつつあるのを描くのが物語という高揚だと思う。

だけど、
それが終わったあとのことも描くべきだと思う。
そして、その全能感が二度と来ないんじゃなくて、
もう一回人為的にそれを起こすのが、
物語の後半になってくるんじゃないだろうか。
つまり、偶然の全盛期じゃなくて、
自分で起こす全盛期みたいなことだ。
それがうまく行けば、
クライマックスは生まれ変わりのカタルシスになると思うな。

クライマックスでじゃーん、というすごい音楽が鳴る理由は、
盛り上がるから、ではない。
人生の全盛期を取り戻せたから、
全能感をもう一度やるから、
盛り上がるわけだね。
そしてそのテーマ性がここで決定するからこそ、
必死で何かをするのだ。

ある力を得る。
それを試す。
全能感を得る。
ここまでは誰でも書ける。

それを使って失敗する、失脚する、
全能感を失う、
それからもう一度再起する、
味方を増やし、大逆転する、
そういうところまで書ける人は少ないだろう。
人生とはどのようなものか、
知っていないとリアリティがないからだ。

だが、多くのハッピーエンド作品は、
これに挑戦している。
全能感を得られるラストに、
突っ走るような計算をするべきだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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