2026年01月02日

人は自分に引き付けて理解する

Twitterランドを見ていても、
色んな現実での喧嘩を見ていても、
「XはYだよな」
「そんなこと言ってねえだろ」
「Yって言っただろ」
「俺はXって言っただけだ、そこまで言ってねえ」
「言っただろ」
「言ってねえ」
というのをよく見かける。

これは、Xを自分側に引き付けて、Yだと解釈していることから来ると思う。


つまり、能面効果である。

能面は、それ自体は白いただの面なのに、
見る側が、そこにいろんな感情を投影した結果、
怒って見えたり、悲しんで見えたり、
笑って見えたりなどする。

もちろん、その投影する感情とは、
文脈に与えられ、役者がそういう芝居をするから、
まるでそのように思っているかのように、
無表情に表情がつくのである。

これが、意図しない投影も引き起こすことがある。

能面なのに、何も言っていないのに、
見る側が、「ははあ、これはYのことだな」
と解釈を引き出してしまう場合だ。


これは、自分の興味の高いYに似ていることならば、
なんでもYに引き付けて考えてしまう、
人間の性質のような気がしている。

好きな人のことはなんでも知りたいんだよな。
だからY(その人)のことに全部引き付けて考えてしまう。

恋している状態なら綺麗かもしれないが、
おっさん対おっさんの誤解の話だと、
まあ見る影もない、
誤解や先入観の戦いになるわけね。


これは、わりと誘導尋問とか、
心理のコントロールに使える手でもある。

実際はXの話しかしていないのに、
Yに興味があることを知っていたとして、
なるべくYに誤解するように話すると、
その人はXの話しかされていないのに、
Yのことだと勘違いして暴走するというのはよくあることだ。

悪いことにも使えるし、
色恋営業にも使えるかもしれないね。


さて。
なぜ我々は感情移入できるのか、
の答えがこれである。

Xの話をしているのに、
勝手にYという自分に引き付けて考えてしまうから、
感情は移入するのだ。

ただXの話ならば、関係ないや、
ということで終わってしまうが、
Xという他人の話を聞いているうちに、
自分のYにとても近いのを発見して、
がんばれ、Yを乗り越えるんだ、
という風に応援しだすのが、
感情移入の正体ではないかと僕は考えている。

ということは、
そうしやすいように、
誘導するとよい、ということになる。

あれ?あの子、俺を好きなのかな?
と勘違いさせる色恋営業のようにすればいいのだ。
具体的にどうするかまでは奥義までわかっているわけでないので、
さわりしか分からないのだが、
「隙を見せる」といいと思っている。

つまり、
「XともYともとれるような、
曖昧で隙のある発言」にすれば、
勝手にその隙間を相手がYに埋めて解釈する、
ということだ。


だから、Xを描くときは、
バチバチに定義された、
条件の厳しいXを描くよりも、
まあ大体X、という荒っぽい、
隙間のあるように描写しておくといい、ということになる。

完全に細かく定義する世界観描写などは、
むしろいらないのだ。
Yと違ってしまうからね。

それよりも、隙間があり、
XでもありYでもあるような、
ゆるい描写のほうが、
相手が入り込む余地がある、ということになる。

物語に必要なことは細かく定義する必要があるが、
(聞いてないよ、になるとつまらないので)
使わない部分は、
わざと曖昧にしておくのがいいのだ。
そうすると、
そこに想像の余地が生まれ、
Xでもあるが、Yでもある、
のように、勝手に解釈してくれるというわけだね。


人は自分に引き付けて考えがちだ。
それって俺のことだよね、
それって俺の経験したことに似ている、
それってそっちの世界の俺のことかもしれない、
なんて思ったら、
感情移入がうまく行っているってわけだ。

もちろん、私たちはXの話をしている。
しかし、YにもZにも引き付けて考えやすいような、
話し方をするといいのだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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